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ニコラ・ヴァッカイ : ミニ英和和英辞書
ニコラ・ヴァッカイ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ニコラ・ヴァッカイ : ウィキペディア日本語版
ニコラ・ヴァッカイ

ニコラ・ヴァッカイNicola Vaccai 1790年3月15日 - 1848年8月6日)は、イタリア作曲家、歌唱指導者。特にオペラの分野で活躍した。
== 生涯 ==

=== 作曲家として ===
ヴァッカイはトレンティーノに生まれ、ペーザロで育った。この地で音楽を学んでいた彼であったが、法律を学ばせようと両親にローマへと送られる。法律家になる意志のなかったヴァッカイは声楽のレッスンを受け、その後ローマの重要な作曲家であったの下で対位法を学んだ。21歳になるとナポリへと赴き、パイジエッロの門下に入った。彼の『』は35年後にロッシーニの『セビリアの理髪師』によって追いやられるまでの間、喜劇の傑作と考えられていた作品であった〔J.G. Paton, 'Introduction', in Nicola Vaccai, ''Practical Method of Italian Singing'' ed. J.G. Paton (G. Schirmer, 1975), pp. iii-iv.〕。
ヴェネチアでキャリアをスタートさせたヴァッカイは、バレエの作曲や歌唱指導によって主に生活費を稼いでいた。オペラで最初に成功を収めたのは、1815年ナポリで発表した『''I solitari di Scozia''』であった。パルマで委嘱を受けて作曲した『''Pietro il grande''』の初演の舞台では、彼自身も独唱者の1人として舞台に上がった。この後『''Zadig e Astartea''』(1825年、ナポリ)、そして彼の最も有名なオペラ『』(1825年、ミラノ)が続く。
1832年4月に最大の成功作である『ジュリエッタとロメオ』がキングズ・シアターで上演されるのに伴い、ヴァッカイはロンドンに一時滞在した。自身の魅力と大陸での評判によって音楽界に溶け込んだヴァッカイは、すぐに教師として引っ張りだことなる。
イギリス逗留を終えてイタリアへ戻ったヴァッカイは、1838年ミラノ音楽院の院長並びに作曲の教授に就任した。6年後に体調を崩して職を辞した後、幼少期を過ごしたペーザロに居を構え、この地で16作目のオペラを完成させた。ヴァッカイは1848年、ペーザロに没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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