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ニコロ・アントニオ・ジンガレッリ : ミニ英和和英辞書
ニコロ・アントニオ・ジンガレッリ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ニコロ・アントニオ・ジンガレッリ : ウィキペディア日本語版
ニコロ・アントニオ・ジンガレッリ

ニコラ・アントニオ・ジンガレッリNicola Antonio Zingarelli もしくはニコロ- Niccolò- 1752年4月4日 - 1837年5月5日)は、イタリア作曲家。主にオペラの分野で活躍した。
== 生涯 ==
ジンガレッリはナポリに生まれた。彼は7歳からこの町のサンタ・マリア・ディ・ロレート音楽院において、フェナローリ(Fenaroli)とスペランツァ(Speranza)の下で学んだ。
1789年から1790年にはパリに滞在して「アンティゴネ ''Antigone''」を作曲した。フランス革命が勃発すると彼は急いでフランスを後にし、イタリアへと帰国している。1793年にはミラノのドゥオーモ楽長に任用されて翌年までこれを務めたが、ロレートサントゥナリオ・デッラ・サンタ・カーザの楽長という一流のポストを手にし、そちらへと移った。
1804年、ジンガレッリはローマシスティーナ礼拝堂の合唱指揮者に就任した。イタリアの愛国者であった彼は、1811年サン・ピエトロ大聖堂で「テ・デウム」を指揮することをきっぱり拒絶した。この演奏は生まれたばかりでローマ王とされた、ナポレオンの息子のナポレオン2世のためのものであり、ジンガレッリは捕らえられて囚人としてパリへ移送された。しかし、ナポレオンが彼の音楽の愛好家であったため、ジンガレッリはすぐさま解放された。加えて、彼は政府から恩給を受けられることになった。
1813年、ジンガレッリはナポリへと移り住み、音楽院の学長となった。彼の著名な弟子はヴィンチェンツォ・ベッリーニマイケル・コスタAlessandro Curmiサヴェリオ・メルカダンテルイジ・フェリーチェ・ロッシなどである。その後、彼は1816年ジョヴァンニ・パイジエッロに代わってナポリ大聖堂の合唱指揮者となり、1837年に没するまでその職に留まった。
ジンガレッリはトッレ・デル・グレーコに没した。ベッリーニは彼の葬儀のために「''Sinfonia Funebre''」を作曲している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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