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ニコラス・ジェリー・ジョナス(、1992年9月16日 - )は、アメリカ合衆国の歌手、俳優。身長175cm。 == 来歴 == 1992年9月16日、アメリカ合衆国のテキサス州ダラスで父のポール・ジョナスと母のデニーゼ・ジョナスの下に三男として生まれ、11歳のときニューヨークに引っ越す。兄弟はニックを含め4人で同じポップ・グループのジョナス・ブラザーズに所属している長男のケビンと、次男のジョー、そしてジョナス・ブラザーズには所属していない四男のフランキー。フランキーはノア・サイラスと共に映画『崖の上のポニョ』の英語吹替をし、そうすけを担当した。 言葉を話す前から歌っていたというニックは6歳のとき理髪店で歌っていたところ、スカウトされてエージェントと契約。最初はCMやなどに出演するだけで映画やドラマのゲストで出演する事はなかった。 けなげな努力が実り1999年のクリスマス・シーズンにチャンスがやってきた。11歳だったニックは当時マディソン・スクウェア・ガーデンで上演されていたミュージカル『クリスマス・キャロル』にTiny Tim役で抜擢されたのを機に、2001年『アニーよ銃をとれ』で念願のブロードウェーデビュー。翌2002年には『美女と野獣』に出演し、2003年には『レ・ミゼラブル』、『サウンド・オブ・ミュージック』と、立て続けに大作の舞台に立ったほか、ブロードウェーの人気アーティストが名を連ねるクリスマス・コンピレーション・アルバムで、「Joy to the World (A Christmas Prayer)」を発表。同曲は父ポールと書き上げたオリジナルで、コーラスには『美女と野獣』のキャストが参加。クリスチャン・ラジオでもオンエアチャートをにぎわせた。 そして2004年には本格的に音楽活動をスタートさせる。同年秋にはコロムビア・レコードからニックのシングル2タイトルをリリース。年末にはアルバムの発売も予定されていたが、延期ののち枚数限定でリリースされている。 2005年にレコード会社の社長は兄弟が書き上げた楽曲に着目し、3人グループでのアーティスト契約を打診した。サウンドの方向性についても、彼らが制作した楽曲に加えてイギリスの人気グループ・バステッドの「YEAR3000」と「WHAT I GO TO SCHOOL FOR」カヴァーを指示。ポップ・パンクの要素を盛り込むことでより広い層へのアピールアピールを狙った。しかし、デビュー時期の見極めに関しては慎重で、アルバム発売日は未定のままで、3人は長いツアー生活をスタート。バックストリート・ボーイズやジェシー・マッカートニーらメジャーアーティストのツアーに加わり、オープニングアクトをつとめた。 2007年、ディズニー・チャンネルのオーディションに合格した3人は2008年、オリジナル・ムービー「キャンプ・ロック」に出演。兄のジョーがデミ・ロヴァートと主役を演じたがニックはほとんど登場しなかった。 ディズニー・スターはハリウッド・レコードに多く、3人も声をかけられ移籍。2007年8月7日に放たれたアルバム『Jonas Brothers』(日本2008年12月5日)は、発売一週間でBillboard 200の5位にランクイン。そして、新作お披露目の場として彼らに用意されたのは、マイリー・サイラスのアリーナツアーのオープニングアクト。 2008年8月12日、待望の3rdアルバム『A Little Bit Longer』が発売され(日本2009年1月14日)、前作同様にダブルプラチナムを獲得してチャートを席巻し、世界中で34個のプラチナとゴールドを獲得。全米で100万人を動員したヘッドライン・ツアー『Burnin' Up Tour』も大盛況のうちに終了。ケビンが言うにニックは「グループの核」なのだとか。 2008年の「American Music Awards」で最優秀新人賞を受賞、「MTV Video Music Awards」「MTV Europe Music Awards」「グラミー賞」では最優秀新人賞にノミネート。また、ローリング・ストーン誌の表紙を飾り、ジョナス掲載号が2008年で1番の売上げを記録。秋には写真集を出版し、初日で100万部を売上げ、驚異的な数字を記録。これもすべてニックのおかげだとジョーは語った。 2009年には、アメリカ新大統領のバラク・オバマの就任式のために行われたライヴ「Kids' Inaugural:We Are The Future」のイベントに出演し、オバマの娘も大ファンという熱狂ぶり。またニックのパフォーマンスもとてもよく評価された。2月には昨年行った「Burnin Up TOUR」の模様を映画化した3Dコンサート映画が全米を皮切りに全世界で公開が決定。アメリカでは興行成績初登場2位を獲得。 5月からは、ワールド・ツアーが南米からスタートし、北米、ヨーロッパと決定。その中にはニュー・ヨークのナッソー・コロシアムやロサンゼルスのステイプル・センターの3days、さらにロンドンのウェンブリー・アリーナを含むアリーナ・コンサートが開催。ニックはいずれもドラム担当が多かったがギターも上手でファンを熱狂させた。 2008年、「キャンプ・ロック」に出演しほとんど出演しなかったニックだったが、2010年に「キャンプ・ロック 2」で主要人物になった。ニックは「光栄だよ、これはすばらしいことだし夢がかなって嬉しいんだ」と心の内を打ち明けた。 またNick Jonas and the Administrationというバンドを結成し「Who I Am」が全米で大ヒット(日本未発売)。ライブも大変のようで体調を崩してしまうこともあるという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニック・ジョナス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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