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ニック・テスタことニコラス・テスタ(Nicholas Testa, 1928年6月29日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身の元プロ野球選手(捕手)。 == 来歴・人物 == クリストファー・コロンブス高校卒業後、ニューヨーク大学に進学するも中退し、に、マイナーリーグで野球人生をスタートさせた。4月23日にメジャーデビューを果たしたが、すぐにマイナーに逆戻りした。 に大毎オリオンズに入団。ディック・ディサとテスタの紹介で入団した、フランク・マニーの両外国人投手の専属捕手的な役割で、マスクを被った。オリオンズおよびマリーンズ球団史において、外国人同士のバッテリーが組まれるのは非常に珍しいことであり、ディサ&マニー-テスタの後には、28年後の7月28日の対ダイエー戦まで待たなければならなかった〔【7月28日】1990年(平2) カネやん復帰!28年ぶり外国人バッテリーで逃げ切った スポニチアネックス、2012年7月28日記事〕(この時は、監督の金田正一の奇策で、本来は野手のマイク・ディアズを初めて捕手として起用し、8回2死から荘勝雄が登板したことにより実現した)。しかし、最終的には打撃の低さがネックとなり、同年限りで退団。その後、まで現役生活を続けたものの、メジャーへの復帰はかなわなかった。 現役引退後は、ニューヨーク市立大学リーマン校のコーチを長く務め、にはシニア・ベースボール・アソシエーション(まで存在した、35歳〈最低32歳〉以上の選手たちによるシーズンオフの野球リーグ戦)のセントルイス・レジェンドの監督も務めた。 大の飛行機嫌いであり、船を利用して来日した。また5月の北海道遠征は一人青函連絡船を利用した。しかし6月の沖縄遠征は飛行機利用以外の手段がなく結果遠征に帯同しなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニック・テスタ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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