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ニック・ディアス(Nick Diaz、1983年8月2日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家。カリフォルニア州ストックトン出身。シーザー・グレイシー柔術アカデミー所属。ブラジリアン柔術黒帯。元Strikeforce世界ウェルター級王者。元WEC世界ウェルター級王者。 スペイン語で悪魔を意味する「ディアブロ」のニックネームを持つ。脇を大きく開いた独特の構えから繰り出す、出所の分かりにくいパンチで試合を組み立て、寝技では基本に忠実なガードワークからの攻めを得意とする〔【UFC158】難攻不落GSPに対し、ニックは乾坤一擲の勝負?? MMAPLANET 2013年3月14日〕。素行の悪さを揶揄して「暴力柔術」とも呼ばれる。 総合格闘家のネイト・ディアスは実弟。 == 来歴 == 母子家庭に育ち、幼い頃に空手、合気道、レスリングを経験。高校生の時は水泳をやっており、現在でもトレーニングの一環としてトライアスロンをする。16歳の時にサンボを始めた。 学生の頃はいじめに遭っており、それが総合格闘技を始めるきっかけとなった。中学生の頃には喧嘩をしすぎたために、中学を卒業できなかったと語っている〔Diaz opens old wounds on a dark day in his career MMA Fighting 2015年9月14日〕。 2001年、IFCでプロ総合格闘技デビュー。 2003年3月27日、WECで行われたIFC全米ウェルター級王座決定戦でジョー・ハーリーと対戦し、チキンウィングアームロックで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。同時に初代WEC世界ウェルター級王座に認定された。 2003年7月19日、IFC米大陸・全米ウェルター級王座統一戦で米大陸王者ジェレミー・ジャクソンと対戦し、マウントパンチでTKO勝ちを収め王座統一に成功した。同時にISKA MMAウェルター級王座に認定された〔Reality Fighting 4:score One For The Little Guy Full Contact Fighter 2003年7月19日〕。 2004年4月2日、UFC 47でロビー・ローラーと対戦し、KO勝ち。 2006年2月4日のUFC 57でのジョー・リッグスとの対戦においては試合前から舌戦を繰り広げ、公開計量でも睨み合い・罵り合いを止めないためダナ・ホワイトに引き剥がされるほどの犬猿の仲であった。試合はディアスが判定で敗れたが、試合後、治療と検査を兼ねた病院内で両者が大乱闘を繰り広げ、警察が駆けつけるほどの騒ぎとなった。 2007年2月24日、PRIDE初参戦となったPRIDE.33でPRIDEライト級王者五味隆典と対戦。フットチョークで一本勝ち。試合後の薬物検査でマリファナの陽性反応が検出されたため、ネバダ州アスレチック・コミッションの裁定により、4月10日付けで当該試合は無効試合とされ、6か月間の出場停止処分が課せられた。 2007年11月10日、EliteXC: Renegadeの世界ライト級(-73kg)王座決定戦でKJ・ヌーンズと対戦し、1R終了時に左瞼カットによるドクターストップでTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。 2008年5月11日、DREAM初参戦となったDREAM.3のウェルター級チャンピオンシップ代表者決定戦で井上克也と対戦し、タオル投入によるTKO勝ち。なお、従来のDREAMウェルター級リミットの76kgではなく、契約体重77kgで試合が行なわれた。 2008年6月14日、EliteXC: Return of the Kingでムーシン・コーブリーと対戦し、3RTKO勝ち。この試合はディアスが契約体重から約4kgの体重超過をしたため、キャッチウェイトでの試合となった〔Return of the King Weigh-In Results MMA on TAP 2008年6月14日〕。ディアスはこの体重超過について「海に入ったので塩水を吸収しすぎた」などと弁明している。さらに、同大会で試合を行ったKJ・ヌーンズの試合後のマイクアピールに乱入し乱闘騒ぎとなった〔【EXC】KJ・ヌーン 48秒衝撃のTKO決着!試合後、ぷっつんディアズと乱闘劇 MMAPLANET 2008年6月15日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニック・ディアス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nick Diaz 」があります。 スポンサード リンク
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