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株式会社ニッポン放送(ニッポンほうそう、Nippon Broadcasting System, Inc.)は、関東広域圏を放送対象地域とする中波放送(AM放送)の特定地上基幹放送事業者である。 フジテレビジョンなどとともにフジサンケイグループに属する〔フジサンケイグループ一覧 フジサンケイグループ〕。また、ニッポン放送グループ(全5社)の中核企業でもある〔。 略称・呼称はコールサイン「JOLF」からLF、旧法人設立から1967年(昭和42年)9月30日までの略称はNBS〔この略称は後に長野放送(フジテレビの系列局)が使用するようになった。なお、長野放送の「S」は「Systems」(ニッポン放送は単数形、長野放送は複数形)。〕。 なお、本記事では1954年(昭和29年)4月13日から2006年(平成18年)3月31日までの旧会社(フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)に吸収合併)および2006年(平成18年)4月1日に分割新設された現行会社について述べる。 2015年10月からのキャッチフレーズは「笑顔が聴こえる!HAPPY STATION ニッポン放送」(えがおがきこえる!ハッピー・ステーション にっぽんほうそう)。 == 概要 == 東京地区で1950年代初頭に開局した民放のラジオ東京(現・TBSラジオ)・文化放送に続き、1954年に財界を中心とした約200社の出資で開局〔当時の日本を代表する企業・金融機関と、中京・関西地区を地盤とする企業が出資。〕。当時の役員は財界人で構成され、会長には稲垣平太郎(日本貿易会会長)、社長には植村甲午郎(経済団体連合会副会長)、専務には鹿内信隆(日本経営者団体連盟専務理事)、取締役に櫻田武(日本経営者団体連盟会長、日清紡績社長)が就任した。このような後押しがあったため、当時としては珍しく開局2年目で経常収支が黒字となった〔境政郎『テレビショッピング事始め』扶桑社、2008年、第1部 フジサンケイグループの形成とリビング路線 「ニッポン放送の生い立ち」。ISBN 978-4-594-05565-3。〕。 産経新聞・夕刊フジ・サンケイスポーツなどを発行する産業経済新聞社(産経新聞社)やフジテレビとともにフジサンケイグループを構成する中核企業である。文化放送〔文化放送の略称「QR」はニッポン放送同様、文化放送のコールサイン(JOQR)の下2文字である。〕と長く提携関係にあり、文化放送とともにラジオネットワーク「NRN」のキー局を務めている。 社章・社旗は、フジサンケイグループ各社で使用している統一シンボルマークである「目玉マーク」を使用(開局から目玉マーク制定前は、ニッポンの"N"とコールサインの“LF”を電波型にデフォルメしたマークを使用していた)。 元々フジテレビの親会社的な存在であったが、2005年(平成17年)1月17日よりフジテレビによる子会社化を目的に株式公開買い付け(TOB)が実施される。同時期にインターネット関連会社ライブドアが、経営権奪取を目的として大量のニッポン放送株式を取得したが、同社との間で4月18日和解が成立し、9月1日にフジテレビの完全子会社になった。この件は様々な問題提起を残した。詳しくはニッポン放送の経営権問題を参照のこと。 「オールナイトニッポン」等のキーステーションとして全国的には知られているが、日本テレビ系の中波ラジオ局アール・エフ・ラジオ日本(通称 ラジオ日本)と混同して「ラジオ日本放送」と誤記されたり、郵便物の誤送・間違い電話などのトラブルが起き、「アール・エフ・ラジオ日本」の商号の使用停止を求めて提訴したことがある〔〔フィクションではあるが、ニッポン放送を舞台とした田原俊彦主演のドラマ「ラジオびんびん物語」で、主人公が接待のため予約した船宿が誤って日本テレビに確認電話を入れ、いたずら予約と勘違いしてキャンセルしてしまったエピソードがある。〕。このため全国ネットの番組でハガキの宛先を言う際は「''カタカナでニッポン、漢字で放送''」と呼びかけることがある。 1997年(平成9年)3月24日 - 2004年(平成16年)9月5日の期間は、本社として使用していたビルの建て替えに伴い、東京都港区台場のFCGビル(通称フジテレビ本社ビル)にあった。 レコード・CDの所有枚数は約23万枚(2012年現在)。これはNHK浜松支局(所有枚数34万枚)に次いで多く、民放では最多の枚数を誇る〔福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ 2012年7月2日「福山雅治の棚つかnight☆ 」〕。 社員の給与はラジオ単営局の中では高い方であった〔清水克彦『ラジオ記者、走る』新潮新書、p31。〕。 設立に財界が関与したこともあり、長らく労働組合が存在しないラジオ局であったが〔花輪如一『ラジオの教科書』データハウスより。〕、ライブドアによる買収問題が契機となり、2005年3月に労使の話し合いの場になっていた「いちご会」と呼ばれる30代以下の若手社員の有志組織が母体となって労組結成の準備を始め〔ニッポン放送、労組結成へ・ライブドア対抗鮮明に(2005/3/16 日本経済新聞 朝刊) 〕、同年9月12日までに労働組合が結成された〔ニッポン放送に労働組合が誕生・雇用維持に備え(2005/9/13 日本経済新聞 朝刊) 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニッポン放送」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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