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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ニッポーキングは日本の競走馬で、セントライト記念・クモハタ記念・安田記念・京王杯スプリングハンデキャップの優勝馬。日本の競馬の競走体系がまだ長距離重視であったTTG世代において短距離から中距離で実績を残した。 == 戦績 == 1975年(昭和50年)6月、郷原洋行が騎乗して札幌の新馬戦を9馬身差で勝ち上がった。次走2着後しばらく休養の後、4歳になると中山の条件特別と東京のオープン戦を連勝し、重賞未勝利ながら4戦3勝で日本ダービーへ挑戦、27頭中6番人気になった。この1976年の春のクラシック戦線はは、トウショウボーイ・テンポイント・クライムカイザーの三強を中心に回っており、ニッポーキングは9着に終わった。 それでも、秋には古馬に伍して京王杯オータムハンデキャップで1番人気に支持され2着。4歳限定のセントライト記念(2400メートル)では、トウショウボーイ・テンポイント・クライムカイザー不在〔トウショウボーイとクライムカイザーは神戸新聞杯・京都新聞杯に出走し共にワンツー(どちらもトウショウボーイ優勝)、骨折休養明けのテンポイントは京都大賞典に出走し3着に終わっている。〕の中、重賞初勝利を遂げた。 次走の菊花賞ではトウショウボーイ・クライムカイザー・テンポイントに次ぐ4番人気に推されたが、グリーングラスの13着に大敗した。中距離に戻った12月のクモハタ記念(1800メートル)では古馬を破って勝ち、その後は適距離の中距離に絞って出走する事となった。この年、4歳馬(当時の馬齢表記。2001年以降の馬齢表記では「3歳」)のランキングでは、トウショウボーイ、クライムカイザー、グリーングラス、テンポイント、二冠牝馬テイタニヤに次ぐ6番手の評価を受け、58キロのハンデを与えられた〔。 5歳時(1977年(昭和52年))には、京王杯スプリングハンデキャップ(1800メートル)とオープンのニュージーランドトロフィー(1800メートル)を連勝した。この年のフリーハンデでは59キロの評価で、古馬の中では7番目の高評価である 。 6歳時(1978年(昭和53年))には、東京のオープン戦(1400メートル)を7馬身差でレコード勝ち、安田記念(1600メートル、当時はハンデ戦)を6馬身差で勝ち、函館のUHB杯(1200メートル)でも7馬身差のレコード勝ちで3連勝を収めた。この年のフリーハンデは58キロ(古馬10位)だった〔。この年の年末のクモハタ記念5着を最後に競走馬を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニッポーキング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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