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ニノチカ・ひろゆき : ミニ英和和英辞書
ニノチカ・ひろゆき
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ニノチカ・ひろゆき ( リダイレクト:衛藤ヒロユキ ) : ウィキペディア日本語版
衛藤ヒロユキ[えとう ひろゆき]

衛藤 ヒロユキ(えとう ヒロユキ、本名:衛藤 浩幸、1月19日 - )は、日本漫画家大分県竹田市出身。男性血液型O型。代表作に『魔法陣グルグル』、『がじぇっと』など。
== 経歴 ==
大分県竹田市生まれ、大分市育ち。中学時代はロック少年で、大分県立大分上野丘高等学校時代に大島弓子の漫画に強い影響を受け、少女漫画、ファンタジー、オカルトなどにはまる。高校卒業後、武蔵野美術大学に進学(のちに中退)。漫画研究会に所属し、本格的に漫画を書き始める。1984年に創刊された漫画雑誌『季刊コミックアゲイン』内の新人漫画家発掘企画「アゲイン漫画スクール」のニューウエイブコース〔「アゲイン漫画スクール」には「億万長者コース」「ニューウエイブコース」「悠々自適趣味コース」の3種があった。〕に投稿を始め、応募2作目の作品「時計屋の娘 SEKUNDEN ZEIGER GENT TICK TICK TICK」(ニノチカ・ひろゆき名義)が入賞し、翌1985年の2月冬季号(創刊3号)に掲載されてデビュー。5月冬季号(休刊号)でも「月猫郵便結社」が入賞し、再び掲載されている。
その後漫画界から離れ、ブティック店員や輸入レコード店員などを経て、1988年頃から『ハイスコア』、『V version』、『ギターマガジン』などの雑誌でゲームライター、イラストレイターとして活動。1990年、『ゲームブックドラゴンクエストIV』のライターをしていた時に、『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』に引き抜かれる形で参加。独特の絵柄とギャグセンスで人気を博し、この頃から様々な雑誌でゲーム漫画を発表。
1992年に『ゲームプレイヤーコミックス』にて『FANTASY CPU Pico☆Pico』で初連載を得るが、4話で休刊〔のちに『月刊少年ギャグ王』で設定を大幅に変えてリライトしている。〕。入れ違いで『月刊少年ガンガン』にて『魔法陣グルグル』の連載を開始(-2003年)。『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』時代からジュリアナ好きや自宅DJであることを公言。『グルグルランド』での機材公開など経て、1994年「衛藤ヒロユキ公認ファンクラブ」を設立。翌1996年から2000年までファンイベント「HUP(Happy UFO Party)」を年に1度開催したり、会報「ヒロヒロ(HIRO HIRO)」の発行、オリジナルグッズの販売などを行った。2004年7月に活動休止。
『魔法陣グルグル』が佳境に入った2002年に、『月刊コミックブレイド』にて『がじぇっと』の連載を開始(-2005年)。エニックス / マッグガーデンの分裂(エニックスお家騒動)以後に『月刊少年ガンガン』と『月刊コミックブレイド』の両方に連載を持った唯一の漫画家となる。2006年に『衛星ウサギテレビ』で月刊少年ガンガンに復帰(-2007年)。2008年からウェブマガジン『ガンガンONLINE』にて『魔法陣グルグル』のスピンオフ舞勇伝キタキタ』を連載(-2012年)。『舞勇伝キタキタ』の連載終了の翌月より『魔法陣グルグル』の続編となる『魔法陣グルグル2』の連載を開始。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「衛藤ヒロユキ」の詳細全文を読む




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