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ニホンピローエース : ミニ英和和英辞書
ニホンピローエース[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ニホンピローエース : ウィキペディア日本語版
ニホンピローエース[ちょうおん]

ニホンピローエースは、1960年代後半に活躍した日本の競走馬。年齢表記は旧呼称とする。尚、すべてのレースに田所稔が騎乗した。尾花栗毛の逃げ馬と形容されていた〔サラブレッド101頭の死に方2 p46〕。
== 経歴 ==

=== 現役時代 ===
1963年3月25日北海道浦河郡浦河町の辻牧場で誕生。日本ピローブロック製造のオーナー・小林保の所有馬となり。1965年京都競馬場小川佐助厩舎へ入厩する。
1965年10月23日の京都競馬場での3歳新馬戦(芝 1,100m)に出走、1分5秒06のレコードタイムで2着のリュウファーロスに1.5秒もの差をつけての圧勝であった。2戦目の条件特別戦でも再びリュウファーロスに勝利し、3戦目には阪神競馬場の重賞競走である阪神3歳ステークス(芝 1,600m)に出走、ここでもリュウファーロス、アポオンワードを下して重賞初制覇を果たす。尚、ニホンピローエースはこの阪神3歳ステークスの勝利が評価されて1965年度啓衆社賞最優秀3歳牡馬に選出された。
1966年、4歳になると正月競馬の平場オープン競走で勝ち星を上げ、クラシックレースに挑むべく東上、2月27日の弥生賞東京競馬場、芝 1,600m)で1番人気に支持されるがタマシユウホウの前に2着、スプリングステークス中山競馬場、芝 1,800m)ではシヨウグンナスノコトブキの後塵を拝して4着に敗れた。だが4月17日の皐月賞(中山 芝 2,000m)ではスタートダッシュが決まりハナに立つと道中澱みなく快走、第4コーナーを回って最後の直線でもスピードは衰えず、1番人気シヨウグンの追撃も抑えて1着となりタイトルを手にした。しかし皐月賞の後、NHK杯東京優駿と人気になりながら5着、20着と敗れ、秋の京都杯菊花賞でもいいところなく17着に敗れ去った。
1967年、5歳となると、平場オープン競走で2勝した後、5月21日の阪急杯(阪神競馬場、芝 1,900m)では1分54秒8のレコードタイムで勝利し、皐月賞以来の重賞勝ちを収めた。その後鳴尾記念2着と調子を取り戻したかに見えたが、8月の函館記念函館競馬場)で直前に出走を取消して以後は休養を余儀なくされた。
1968年1月に京都、4月に阪神の平場オープン競走で2着、1着となり、4月29日の天皇賞(春、京都)では好位先行のレース運びを見せ、第4コーナーで後ろに下がるも直線で粘って4着に入線した。そしてこのレースがニホンピローエースの現役最後のレースとなった。現役時代は1,600m以下のレースで6戦5勝と中距離競走に強い馬でもあった〔ニホンピローエース 優駿達の蹄跡 - 引退競走馬名鑑〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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