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ニミッツ級航空母艦(ニミッツきゅうこうくうぼかん、)は、アメリカ海軍の原子力空母の艦級である。世界で初めて量産された原子力空母の級(クラス)であり、40年以上の期間をかけて、順次に改正されつつ全10隻が建造された。世界最大級の軍艦としても知られる。 == 来歴 == 第二次世界大戦後の核戦争時代の到来を受け、空軍戦略航空軍団への対抗もあり、アメリカ海軍は大型の艦上爆撃機を運用できる超大型空母(スーパー・キャリアー)の保有を志向した。1949年度計画の空母「ユナイテッド・ステーツ」(基準66,400t)は挫折したものの、朝鮮戦争で空母航空団の存在意義が再確認されたこともあり、1952年度計画よりフォレスタル級(基準59,900t)の建造が認可され、同型4隻が建造された〔〕。そのネームシップは予算1.9億ドルであったが、その後値上がりして、改良型であるキティホーク級のネームシップでは2.6億ドルとなった〔〕。 一方、1950年の時点で、当時のアメリカ海軍作戦部長フォレスト・シャーマン大将より、空母を含めた水上艦の原子力推進化の可能性検討が指示された。しかしこの時点では非常に高コストであったことから原子力委員会が賛成せず、1958年度計画で、やっとキティホーク級をベースとした初の原子力空母として「エンタープライズ」の建造が認可された。ただし艦型拡大(満載排水量にして9,000t増大)もあり、建造費は7割増の4.5億ドルとなった。これもあり、アイゼンハワー政権下では、1959・60年度ともに空母建造予算が認められず、1961・63年度に各1隻の建造が認可されたものの、原子力推進の実績がまだ乏しかったこともあり、これらは在来型のキティホーク級とされた〔。 その後、原子力推進技術の成熟を受け、原子力委員会は、1963年度計画のキティホーク級最終艦の原子力推進化を勧告したものの、同年10月、完成の遅延を理由として、ロバート・マクナマラ国防長官は変更の中止(通常推進の維持)を決定した。1964年6月の時点で、「エンタープライズ」の原子炉4基式よりも安価な2基式が実現可能となり、1965年度予算説明において、マクナマラ長官は高性能の原子炉の研究成果を受けて原子力艦隊の創設を発表した。原子力空母4隻体制が認可されたことから、ミッドウェイ級3隻を代替して、新型原子力空母3隻の建造が計画された。これにより建造されたのが本級である〔。 ネームシップの建造は1967年度計画で着手され、残り2隻は1969・1970年度計画とされたが、マクナマラ長官の解任と政権交代に伴って、それぞれ1970・74年度に遅延した。またニューポート・ニューズ造船所のストライキもあり、建造には3隻ともに7年を要することとなった。その後、一度は4番艦の建造が認可されたものの、制海艦(SCS)から発展した小型空母(CVV)計画の台頭に伴い、ジェラルド・R・フォード大統領は1977年度予算からその要求を削除した。ジミー・カーター大統領もCVV計画を支持し、議会の下院は1979年度予算に4番艦の建造費を追加したが、大統領はその執行を拒否した。翌1980年度予算ではCVVの建造が盛り込まれる計画であったが、当初の小型空母から満載67,000tの中型空母に肥大化して低コスト性が失われており、イランアメリカ大使館人質事件の影響もあり、上院・下院が原子力空母の建造を勧告したことから、CVVにかえて本級4番艦が建造されることとなった。その後、レーガン政権下で打ち出された600隻艦隊構想を受け、1983年度予算で5番艦・6番艦、大ブッシュ政権下でも7番艦・8番艦と追加され〔、最終的に10番艦までが建造されることとなった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニミッツ級航空母艦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nimitz-class aircraft carrier 」があります。 スポンサード リンク
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