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ニューイングランド・ペイトリオッツ : ミニ英和和英辞書
ニューイングランド・ペイトリオッツ[らん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

ニューイングランド・ペイトリオッツ : ウィキペディア日本語版
ニューイングランド・ペイトリオッツ[らん]

ニューイングランド・ペイトリオッツThe New England Patriots)は、マサチューセッツ州フォックスボロに本拠地をおくNFLチーム。AFC東地区に所属している。チーム名は公募によりボストン・ペイトリオッツとなったがその由来は本拠ニューイングランド(北東部6州の総称)がアメリカ独立戦争の舞台だった事から。設立当初はボストン・ペイトリオッツという名称だったが、ボストン(マサチューセッツ州)近郊の北東部の州からの要望でニューイングランド・ペイトリオッツに改称した。アメリカンフットボール・カンファレンス(AFC)東地区所属。チームフラッグにはアメリカが独立した際の13州当時の国旗(赤白のストライプに13個の☆)が描かれている。愛称はパッツ (The Pats)
過去8度スーパーボウルに出場し、4度NFLチャンピオンに輝いている。特に2000年代に入ってからはヘッドコーチ (HC) ビル・ベリチッククォーターバック (QB) トム・ブレイディのもとで2001年2003年2004年2014年シーズンとNFLを制している。
== 歴史 ==

=== チーム創設から1969年まで ===
1959年11月、ビリー・サリバンによってアメリカン・フットボール・リーグ(AFL)8番目そして最後のフランチャイズとしてチームが設立された。
1960年、AFL最初のプレシーズンゲームでバッファロー・ビルズを破った。ホームで迎えた開幕戦ではデンバー・ブロンコスに10-13で敗れた〔。第2週のニューヨーク・タイタンズ戦で初勝利を挙げた。また第8週の試合でホーム初勝利をあげた〔。このシーズンはAFL東部地区最下位の5勝9敗で終わった。
1961年、2勝3敗となったところでヘッドコーチのルー・セイバンが解雇され、マイク・ホロバックが就任し残り試合を7勝1敗1分で終えて9勝4敗1分でシーズンを終えた。
1962年も9勝4敗1分の成績を残したがプレーオフ進出はならなかった。
1963年、本拠地をニッカーソン・フィールドからフェンウェイ・パークへ移した。7勝6敗1分けの成績だったが初のプレーオフ進出を果たした。バッファローで行われたビルズ戦に26-8と勝利しAFLチャンピオンシップゲームに初進出を果たしたが、サンディエゴ・チャージャーズに10-51で敗れて優勝はならなかった。AFLに属していた間チームがプレーオフに出場したのはこのシーズンのみであった。なおこの年のオールスターゲームにはチームからジーノ・キャパレッティニック・ブオニコンティベイブ・パリら11人が選ばれた。
1964年、キャパレッティがWRとして7タッチダウン、プレースキッカーとしてFG、PATで111得点を挙げシーズンMVPに選ばれる活躍を見せた。10勝2敗1分で迎えた最終戦地元フェンウェイパークで行われたビルズ戦には観客38,021人が入場しソールドアウトとなったが、ファンの期待もむなしく14-24で敗れプレーオフ進出はならなかった。
1965年、開幕から7連敗を喫し、ハロウィンに行われたサンディエゴ・チャージャーズ戦でようやく初勝利を挙げた。11試合終了時点でも1勝8敗2分という成績だったが最後に3連勝を果たし、4勝8敗2分でかろうじてリーグ最下位の成績を免れた。
1966年、1勝2敗1分でスタートしたがFBのジム・ナンスがAFLレコードとなる1,458ヤードを走る活躍を見せ、チームも8勝3敗2分とプレーオフ進出に後一歩のところまで迫った。
1967年ワールドシリーズボストン・レッドソックスが進出した関係で最初の5試合をロードでプレイすることとなり、1勝3敗1分でスタートする。前年も活躍したナンスが1,216ヤードを走りシーズンMVPを獲得した〔Jim Nance statistics 〕〔NFL MVP player of the year 〕が、3勝8敗1分で最下位に終わった。
1968年、4勝10敗で終わり、シーズン終了とともにホロバックHCは解任されクライブ・ラッシュが新しいHCとなった。またこのシーズンを最後に、6シーズンを戦ったフェンウェイパークに別れを告げた。
1969年、本拠地をボストンカレッジアラムナイ・スタジアムに移した。クライブ・ラッシュヘッドコーチは酔っぱらったままチームの指揮を執り、黒人の守備選手が11人在籍していなかったにもかかわらずオフェンス選手のコンバートなどで守備選手11人全てを黒人選手にそろえるというブラック・パワー・ディフェンス(Black Power Defense)を導入した。しかしチーム状況は好転せず開幕から7連敗を喫し、4勝10敗に終わった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニューイングランド・ペイトリオッツ」の詳細全文を読む




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