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ニューイングランド・ペイトリオッツ(The New England Patriots)は、マサチューセッツ州フォックスボロに本拠地をおくNFLチーム。AFC東地区に所属している。チーム名は公募によりボストン・ペイトリオッツとなったがその由来は本拠ニューイングランド(北東部6州の総称)がアメリカ独立戦争の舞台だった事から。設立当初はボストン・ペイトリオッツという名称だったが、ボストン(マサチューセッツ州)近郊の北東部の州からの要望でニューイングランド・ペイトリオッツに改称した。アメリカンフットボール・カンファレンス(AFC)東地区所属。チームフラッグにはアメリカが独立した際の13州当時の国旗(赤白のストライプに13個の☆)が描かれている。愛称はパッツ (The Pats)。 過去8度スーパーボウルに出場し、4度NFLチャンピオンに輝いている。特に2000年代に入ってからはヘッドコーチ (HC) ビル・ベリチックとクォーターバック (QB) トム・ブレイディのもとで2001年、2003年、2004年、2014年シーズンとNFLを制している。 == 歴史 == === チーム創設から1969年まで === 1959年11月、ビリー・サリバンによってアメリカン・フットボール・リーグ(AFL)8番目そして最後のフランチャイズとしてチームが設立された。 1960年、AFL最初のプレシーズンゲームでバッファロー・ビルズを破った。ホームで迎えた開幕戦ではデンバー・ブロンコスに10-13で敗れた〔。第2週のニューヨーク・タイタンズ戦で初勝利を挙げた。また第8週の試合でホーム初勝利をあげた〔。このシーズンはAFL東部地区最下位の5勝9敗で終わった。 1961年、2勝3敗となったところでヘッドコーチのルー・セイバンが解雇され、マイク・ホロバックが就任し残り試合を7勝1敗1分で終えて9勝4敗1分でシーズンを終えた。 1962年も9勝4敗1分の成績を残したがプレーオフ進出はならなかった。 1963年、本拠地をニッカーソン・フィールドからフェンウェイ・パークへ移した。7勝6敗1分けの成績だったが初のプレーオフ進出を果たした。バッファローで行われたビルズ戦に26-8と勝利しAFLチャンピオンシップゲームに初進出を果たしたが、サンディエゴ・チャージャーズに10-51で敗れて優勝はならなかった。AFLに属していた間チームがプレーオフに出場したのはこのシーズンのみであった。なおこの年のオールスターゲームにはチームからジーノ・キャパレッティやニック・ブオニコンティ、ベイブ・パリら11人が選ばれた。 1964年、キャパレッティがWRとして7タッチダウン、プレースキッカーとしてFG、PATで111得点を挙げシーズンMVPに選ばれる活躍を見せた。10勝2敗1分で迎えた最終戦地元フェンウェイパークで行われたビルズ戦には観客38,021人が入場しソールドアウトとなったが、ファンの期待もむなしく14-24で敗れプレーオフ進出はならなかった。 1965年、開幕から7連敗を喫し、ハロウィンに行われたサンディエゴ・チャージャーズ戦でようやく初勝利を挙げた。11試合終了時点でも1勝8敗2分という成績だったが最後に3連勝を果たし、4勝8敗2分でかろうじてリーグ最下位の成績を免れた。 1966年、1勝2敗1分でスタートしたがFBのジム・ナンスがAFLレコードとなる1,458ヤードを走る活躍を見せ、チームも8勝3敗2分とプレーオフ進出に後一歩のところまで迫った。 1967年、ワールドシリーズにボストン・レッドソックスが進出した関係で最初の5試合をロードでプレイすることとなり、1勝3敗1分でスタートする。前年も活躍したナンスが1,216ヤードを走りシーズンMVPを獲得した〔Jim Nance statistics 〕〔NFL MVP player of the year 〕が、3勝8敗1分で最下位に終わった。 1968年、4勝10敗で終わり、シーズン終了とともにホロバックHCは解任されクライブ・ラッシュが新しいHCとなった。またこのシーズンを最後に、6シーズンを戦ったフェンウェイパークに別れを告げた。 1969年、本拠地をボストンカレッジのアラムナイ・スタジアムに移した。クライブ・ラッシュヘッドコーチは酔っぱらったままチームの指揮を執り、黒人の守備選手が11人在籍していなかったにもかかわらずオフェンス選手のコンバートなどで守備選手11人全てを黒人選手にそろえるというブラック・パワー・ディフェンス(Black Power Defense)を導入した。しかしチーム状況は好転せず開幕から7連敗を喫し、4勝10敗に終わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニューイングランド・ペイトリオッツ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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