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ニューミュージックは、1970年代から1980年代にかけて流行した、日本のポピュラー音楽のジャンルの一つ。作曲面ではフォークソングにロックなどの要素を加え、作詞面ではそれまでのフォークソングの特徴であった政治性や生活感を排した、新しい音楽であった。ただし文献により、定義などにずれがある〔#全員集合69-71頁〕〔#池田143-145頁〕〔#hdp101-105頁〕。 == 定義 == 『広辞苑』では、1983年の第三版までは「ニューミュージック」の記載はなく、1991年の第四版から「ニューミュージック」という言葉が記載された〔『広辞苑』第四版、1965頁〕。ここには「わが国で、1970年代から盛んになった、シンガー-ソング-ライターによる新しいポピュラー音楽の総称。欧米のフォーク-ソングやロック・ポップスの影響下に成立」と書かれており〔、その後の1998年第五版以降、2014年現在の最新版第六版(2008年発行)まで同じ記述がされている。 1970年代に唯一の"ニューミュージック評論家"と称していた富沢一誠は、単純に「ニューミュージックは日本のフォークとロックの総称」と論じている〔#富澤11頁〕。詳しく説明した物では「ニューミュージックという言葉が使われ始めた頃、この言葉にはふたつの意味があった。ひとつは荒井由実、ティン・パン・アレーなど新しいタイプのアーティストが出現したことで、それまでのフォーク、ロックという言葉ではくくりきれなくなったので、それらに対して"新しい音楽"ということで"ニューミュージック"という言葉が使われ始めたこと。そしてもうひとつは吉田拓郎、井上陽水のフォークから、新しく出現した荒井由実、ティン・パン・アレーまでの全部をひっくるめて便宜的に言う"ニューミュージック"。(中略)日本のフォークとロック(ロックの一部を除く)を総称して"ニューミュージック"と呼ぶ後者の意味での使い方をしたのはぼくが最初」などと述べている〔#祭り35頁〕〔Vol.31 昭和50年 ニューミュージック誕生(1/3) - 振り返る昭和 - 地球発 〕。 「ニューミュージック」という言葉をタイトルの使用した書籍では、1977年の『ニューミュージック白書 日本のフォーク&ロック20年のあゆみ』(エイプリル・ミュージック)の中で「ニューミュージック試論オリジナリティー創出の旅」という節があって、ここで吉田拓郎、井上陽水、南こうせつ、風、泉谷しげるの5組が紹介され、「彼らがライブ・ステージの比重を重くして、その試みの中から、2つの重要な落し子が生み出された。ひとつは、フォークにリズムを強調して行く上で作り出された、フォークにもロックにも、またポップスにも属し得ない微妙なサウンド。またもうひとつは、フォークにハードな音を重ねた結果、その対極点から突如現れた、従来の歌謡フォークとは趣を異にしたポップ・バラードとも言うべき美しいサウンドである。この2つの落し子こそ、今あえてニュー・ミュージックと呼ぶのに相応しいものである」と論じている〔#白書113-117頁〕。 小川博司は「ニュー・ミュージック」を歌謡曲でも、プロテストソングでも、私生活フォークでもない日本製のポピュラー音楽のこと。歌謡曲のように企業ベースで作られる音楽でもなく、かといってプロテストソングのように反商業主義に立つ音楽でもなく、プロテストソングのように社会問題についてのメッセージを持つ音楽でもなく、私生活フォークのように過去をじめじめと追憶する音楽でもないような音楽を指す名称」と論じている〔#小川51頁〕。 『音楽CD検定公式ガイドブック(下巻)』(音楽出版社、2007年)には、「"洋楽的なアプローチでファッショナブルに時代に浸透" シンガーソングライターによる60~70年代フォークは、生活感を漂わせるものか、政治色の強いメッセージソングであった。70年代半ばに生まれたニューミュージックは、それらの対極にある新しい音楽ジャンル。例としては、かぐや姫の一員だった伊勢正三が結成した"風"が挙げられる。"風"の音楽はウエストコーストサウンドの影響下にあるもので、そんな洋楽志向アーティストたちのラヴソングがチャートを賑わすことになる。75年に『あの日にかえりたい』のヒットを放った荒井由実はその象徴的な存在で、洗練されたサウンドとディテールに凝った歌詞はファッショナブル。まさにニューミュージックと呼ぶにふさわしいものだった」と論じている〔#CD検定14頁〕。 『新譜ジャーナル』(自由国民社)1979年11月号には「(1970年代後半)ニューミュージックとは、女性ミュージシャンがファッショナブルな衣装とステージで、ボサノバかレゲエのリズムで唄う都会ふうの歌というイメージが、ジャーナリズムではできてきた頃、若い女性たちの目は、さだまさし、アリス、松山千春といったアコースティック・ギターを中心にした男性に注がれていた」と紹介されている〔#新譜197991頁〕。 日本のポピュラー音楽史に於いては1975年の「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」が、フォークからニューミュージック、J-POP時代の分岐点とする論調もある〔“拓郎・かぐや姫 イン つま恋”コンサート開催(1975) - おんがく日めくり 〕。 この他、"ニューミュージック"とは「フォークソングはロックやポップミュージックなど様々なジャンルと結びつき、1970年代半ばになると、もはやフォークソングという呼び方ではおさまりきれなくなり、こうした音楽を総称してニューミュージックと呼ぶようになった」〔#辻84頁〕、「従来の歌謡曲なかった非歌謡曲的な要素の全てに対してつけられたもの」〔#ロック学182頁〕、「フォークにリズム・パターンとしてロックを導入し、歌詞に演歌風のものを取り入れて歌わせることによってヒットソングを作ってゆく。曰く吉田拓郎の『旅の宿』、森進一の『襟裳岬』などがその例である。そしてこれらの作品に対しての批判をおそれてニューフォークソングに代わる新しい日本語ネーミング、すなわち『ニューミュージック』という不思議な言葉が生まれた」〔#抒情歌〕などの論調がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニューミュージック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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