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ニューヨーク・セントラル鉄道(ニューヨーク・セントラルてつどう、、報告記号はNYC)は、広告宣伝においては単にニューヨーク・セントラルの名でも知られた、アメリカ合衆国北東部で営業していた鉄道会社である。ニューヨークに本社を置き、アメリカ合衆国の北東部のほとんどに鉄道網を広げ、ニューヨーク州・ペンシルベニア州・オハイオ州・ミシガン州・インディアナ州・イリノイ州・マサチューセッツ州に路線を持ち、さらにカナダのオンタリオ州とケベック州にも路線があった。 ニューヨーク・セントラル鉄道は主に、東部のニューヨークやボストンと中西部のシカゴやセントルイス、およびその中間にあるオールバニ・バッファロー・クリーブランド・シンシナティ・デトロイトといった都市を結んでいた。ニューヨーク・セントラル鉄道が建設した、ニューヨークのグランド・セントラル駅は、現存するもっともよく知られたランドマークである。 1968年にニューヨーク・セントラル鉄道はかつてのライバルであるペンシルバニア鉄道と合併し、ペン・セントラル鉄道となった。その後1969年にニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道もこれに加わっている。しかし1970年にペン・セントラル鉄道は破綻し、連邦政府によって買収されて1976年にコンレールが発足した。コンレールは1998年に分割され、旧ニューヨーク・セントラル鉄道区間は新しく設立されたに移管されて、CSXトランスポーテーションとノーフォーク・サザン鉄道にリースされ、後に吸収された。これらの会社の路線網にはかつてのニューヨーク・セントラル鉄道の本線が含まれているが、これ以外の区間ではかつて一度もニューヨーク・セントラル鉄道の路線網ではなかった区間も含まれている。CSXトランスポーテーションはアメリカでもっとも重要な路線といってよい、ニューヨークからボストンからクリーブランドまで、ウォーターレベルルートの一部を継承し、一方でノーフォーク・サザン鉄道はクリーブランドからシカゴまでのシカゴ線と呼ばれる路線の一部を獲得した。 有名なウォーターレベルルートはニューヨークとアップステート・ニューヨークを結んでおり、世界で最初の長距離複々線区間であった。 == 歴史 == === ニューヨーク・セントラル鉄道以前 1826年 - 1853年 === ニューヨーク・セントラル鉄道を構成するもっとも古い部分は、ニューヨーク州で最初の恒久的な鉄道路線で、アメリカ合衆国でも最初期の鉄道であった。モホーク・アンド・ハドソン鉄道は、モホーク川沿いのスケネクタディとハドソン川沿いのオルバニーを結ぶために、1826年に路線特許を得た。これは貨物や特に旅客にとって、スケネクタディからオルバニーまでのエリー運河にある多数の閘門にかかる時間を短縮するものであった。モホーク・アンド・ハドソン鉄道は1831年9月24日に開通し、1847年4月19日にオルバニー・アンド・スケネクタディ鉄道へ改称した。 ユーティカ・アンド・スケネクタディ鉄道 (Utica and Schenectady Railroad) は1833年4月29日に路線特許を受けたが、エリー運河に並行する鉄道路線であったため貨物輸送を禁じられていた。営業運行は1836年8月2日に開始され、オルバニー・アンド・スケネクタディ鉄道の路線を西に延長し、エリー運河とは反対側のモホーク川の北に沿ってユーティカまでを結んだ。1844年5月7日にいくつかの制約を受けたものの貨物輸送を許可され、1847年5月12日には制約は完全に撤廃されたが、運河の通航料と同額を州に対して納める必要があった。 は1836年5月1日に路線特許を受け、同様に運河から転移した貨物について州に対して支払いを行う必要があった。鉄道の全区間は1839年7月3日に開通し、ロームを経由してシラキュースまでさらに鉄道が伸びた。さらに既に開通していたによりオーバーンまで鉄道で結ばれた。この路線は、エリー運河のそばに沿ってロームを経由するために遠回りをしていたため、が1853年1月26日に路線特許を受けた。この路線は結局少しも建設されることはなかったが、1885年にニューヨーク・セントラル鉄道に買収されたが同じ目的を後に達成した。 オーバーン・アンド・シラキュース鉄道は1834年5月1日に路線特許を取得し、1838年に大半が開通して、最後の4マイル(約6 km)の区間が1839年6月4日に開通した。その1か月後、シラキュース・アンド・ユーティカ鉄道の開通により、オルバニーから西へシラキュースを経てオーバーンまで、そしてまでの途中までの路線を完成させた。は1836年5月13日に路線特許を得て、ジェニーバからカナンデイグアを経てロチェスターまでの路線延長を1841年11月4日に開通させた。この2社は1850年8月1日に合併して通称オーバーン鉄道としても後に知られる、を形成したが、かなり遠回りであった。これを解決するために、ロチェスター・アンド・シラキュース・ダイレクト鉄道が路線特許を受け、すぐに1850年8月6日にロチェスター・アンド・シラキュース鉄道に合併した。この路線は1853年6月1日に開通し、エリー運河におおむね並行して2つの都市をより直線的に結んだ。 ロチェスターより西へは、がロチェスターからまで1832年4月24日に特許を受けた。最初の区間である、ロチェスターから南西へバタビアまでは1837年5月5日に開通し、アッティカまでの残りの区間は1843年1月8日に開通した。アッティカ・アンド・バッファロー鉄道 (Attica and Buffalow Railroad) は1836年に路線特許を受け、1842年11月24日にバッファローから東へアッティカまで開通した。オーバーン・アンド・ロチェスター鉄道が開通した1841年の時点で、ロチェスターではトナワンダ鉄道への接続がなかったが、これを例外としてバッファローからオールバニまでの鉄道路線が全通した。1844年3月19日にトナワンダ鉄道は接続路線の建設を認可され、同年開通させた。オールバニ・アンド・スケネクタディ鉄道は、オールバニからバッファローまでのほかの鉄道会社の所有するすべての荷物車・郵便車・移民車(三等車より等級の低い車両)を1848年2月17日に買収して、通しの列車運行を開始した。 1850年12月7日には、トナワンダ鉄道とアッティカ・アンド・バッファロー鉄道が合併してとなった。バッファローから東へバタビアまでの新しい直通路線は1852年4月26日に開通し、旧線のうちバッファローの東にあるとアッティカの間はバッファロー・アンド・ニューヨーク・シティ鉄道 (Buffalo and New York City Railroad) へ11月1日に売却された。この路線はニューヨーク・アンド・エリー鉄道の鉄道網に編入され、同社の6フィート広軌へ改軌された。 は1836年に路線特許を得て1842年に開通し、ハドソン川とスケネクタディを結ぶもう1本の経路となり、ハドソン川側ではトロイを終点としていた。 ロックポート・アンド・ナイアガラフォールズ鉄道 (Lockport and Niagara Falls Railroad) は1834年にエリー運河沿いのロックポートから西へナイアガラフォールズまでの路線特許を受けた。この路線は1838年に開通した。1850年12月14日にとして再編されて、東のロチェスターまでの延長を1852年7月1日に開通させた。 バッファロー・アンド・ロックポート鉄道 (Buffalo and Lockport Railroad) は1852年4月27日にロチェスター・ロックポート・アンド・ナイアガラフォールズ鉄道の支線をロックポートからバッファローまで建設する路線特許を受けた。1854年に開通し、ロックポートからまで走り、そこで1837年に開通したに合流して残りのバッファローまでの路線を走った。 シラキュース・アンド・ユーティカ・ダイレクト鉄道に加えて、結局建設されなかった鉄道会社としてはモホーク・バレー鉄道 (Mohawk Valley Railroad) があり、1851年1月21日に路線特許を受け、モホーク川の南側をスケネクタディからユーティカまで、これらの町とエリー運河の対岸に建設することになっていた。この場所には後にウェスト・ショア鉄道が建設された。 オルバニーの実業家と、モホーク・バレー鉄道の所有者であったは、これらの鉄道網を合併させて1つの鉄道会社にし、1853年3月17日に合意が成立した。4月2日に州当局の承認が得られ、1853年5月17日にこれら10社が合併してニューヨーク・セントラル鉄道が発足した。ニューヨーク・セントラル鉄道へ合併したのは以下の会社である。 # オルバニー・アンド・スケネクタディ鉄道 # ユーティカ・アンド・スケネクタディ鉄道 # シラキュース・アンド・ユーティカ鉄道 # ロチェスター・アンド・シラキュース鉄道 # バッファロー・アンド・ロチェスター鉄道 #: ロチェスター・アンド・シラキュース鉄道はオーバーン、ジェニーバ、カナンデイグアを経由する旧線も保有しており、オーバーン鉄道と呼ばれていた。バッファロー・アンド・ロチェスター鉄道にはバタビアからアッティカまでの、1852年までは本線の一部であった支線も所有していた。以上5社がオルバニーからバッファローへの本線を形成した。 # スケネクタディ・アンド・トロイ鉄道 - スケネクタディから東へトロイまでの支線 # ロチェスター・ロックポート・アンド・ナイアガラフォールズ鉄道 - ロチェスターから西へナイアガラフォールズまでの大きな支線 # バッファロー・アンド・ロックポート鉄道 - ロチェスター・ロックポート・アンド・ナイアガラフォールズ鉄道のロックポートから南へバッファローまでの支線で、トナワンダからはバッファロー・アンド・ナイアガラフォールズ鉄道の線路使用権による。 #: 以下の2社は鉄道路線を実際に建設することはなかった。 # モホーク・バレー鉄道 # シラキュース・アンド・ユーティカ・ダイレクト鉄道 すぐにバッファロー・アンド・ステート・ライン鉄道 (Buffalo and State Line Railroad) とエリー・アンド・ノース・イースト鉄道 (Erie and North East Railroad) が6フィート広軌から標準軌へ改軌し、ニューヨーク・セントラル鉄道とバッファローで直通してペンシルベニア州エリーまでの路線を形成した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニューヨーク・セントラル鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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