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ニンフェンブルク宮殿()は、ドイツ、バイエルン州ミュンヘンにあるバロック建築の宮殿である。名称は「ニュンペーの城」の意。バイエルン選帝侯の夏の居所だった〔『世界でいちばん美しい城、荘厳なる教会』(エムディエヌコーポレーション 2013年pp.14-21)。〕。 == 歴史 == この宮殿はバイエルン選帝侯フェルディナント・マリアとその妻ヘンリエッテ・アーデルハイト・フォン・ザヴォイエンの命により、イタリア人建築家アゴスティーノ・バレッリが1664年に設計したものである。それ以前の1662年に選帝侯の息子マクシミリアン2世エマヌエルが生まれている。中央の建物は1675年に完成した。 バイエルン選帝侯を継いだマクシミリアン2世エマヌエルは、1701年から宮殿の体系的な拡張を開始した。まず、バレッリの設計した中央の建物の南北に建物を追加した。設計はエンリコ・ズッカーリとジョバンニ・アントニオ・ヴィスカルディである。次に南側をさらに拡張して厩舎とした。そしてバランスをとるため北側には温室(オランジェリー)を追加した。最終的に、マクシミリアン2世エマヌエルの息子である神聖ローマ皇帝カール7世が、''Schlossrondell''(雄大な円)と呼ばれる庭園とそれを取り囲むバロック建築物 ''Kavaliershäuschen''(騎士の家)を完成させ、現在の姿になった。 ヨゼフ・エフナーは1716年、中央の建物のファサードを再設計して付柱を追加したフレンチ・バロック様式にした。1826年、レオ・フォン・クレンツェは選帝侯の紋章が入っていた切妻を取り除き、屋根のすぐ下にアテネ風の装飾を施した。 1741年7月に締結されたニンフェンブルク条約で、カール・アルブレヒトはオーストリアに対抗してフランスおよびスペインと同盟を結んだ。この宮殿は長い間バイエルンの支配者の夏の居城として使われた。初代バイエルン王マクシミリアン1世は1825年にここで亡くなり、その曾孫であるルートヴィヒ2世は1845年にここで生まれた。 現在ニンフェンブルク宮殿は一般公開されているが、今なおヴィッテルスバッハ家当主が個人所有している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニンフェンブルク宮殿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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