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ニーニャ号(La Niña)は、15世紀末に活躍したスペインの船であり、クリストバル・コロンが新大陸に向けての最初の航海に際して率いた3隻の船団の1隻である。キャラベル船(キャラベル・ラティーナ)で、排水量はおよそ60トン程度であったと考えられている。 ==1492年の航海== この航海にあたって、コロンブスはカスティーリャのイサベル女王から資金提供を得たが、それだけでは航海の資金をまかなうのに全く充分でなかったため、3隻の船、船員と追加の資金を調達するまでの過程においても大変な苦労があった。「ニーニャ」とはスペイン語で「小さな女の子」を意味するが、コロンブスの航海に参加する以前の名前はサンタ・クララ(Santa Clara)であり、航海あたって改名されたものである。これは船の本来の持ち主であるフアン・ニーニョという人物の名前に由来したいわばダジャレであると考えられている(「ニーニョ」を女性形にすると「ニーニャ」になる)。持ち主であるニーニョ自身も、ニーニャ号の航海長としてこの航海に参加している。 コロンブスの航海に参加した他の2隻は、ナオ船のサンタ・マリア号と、ニーニャ号と同じキャラベル船だがやや大きかったピンタ号(排水量80トン)である。3隻の中で、コロンブスが最も好んだ船がニーニャ号であったことはよく知られている。 新大陸への航海にあたって、ニーニャ号は船長ビセンテ・ヤーニェス・ピンソンを筆頭に18名のクルーによって操られ、1492年8月3日にポルトガルのパロス港(パロス・デ・ラ・フロンテラ)を出港し、9月6日にはカナリア諸島に寄港し準備を整え、大西洋の横断を開始した。同年の10月12日の夜明けに、後にバハマと呼ばれることとなる域内の島に上陸、この島はコロンブスによってサン・サルバドル島と名付けられた。その後、ピンタ号が船団から一時離脱し、その間の12月24日にサンタ・マリア号が座礁によって失われてしまい、コロンブスはニーニャ号に移乗した。明けて1493年の1月にコロンブスは帰還の途につき、その後はニーニャ号に乗船したまま、3月15日にパロス港に帰着した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニーニャ号」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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