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ニーベルンゲン=ジークフリート街道 (Nibelungen - Siegfriedstraße) は、ドイツ観光街道。本来はニーベルンゲン街道とジークフリート街道は別々の街道で、ともにヴォルムスを起点とし、ロルシュを経てヴェルトハイムまでの街道だが、北よりのエアバッハを経由するのがニーベルンゲン街道(全長約110km)、南よりのアモールバッハを経由するのがジークフリート街道(全長約150km)である。2つの街道は、ともに中世叙事詩『ニーベルンゲンの歌』をテーマとしたほぼ同一地域を通る観光街道であるため、また2002年には『ニーベルンゲンの歌』800年記念行事として、伝説の様々な場面をかたどった共通デザインのモニュメントをそれぞれの町に配するなど共通の活動を行っているため、ニーベルンゲン=ジークフリート街道とまとめて称せられる。公式ホームページもニーベルンゲン=ジークフリート街道としてのサイトである。 オーデンヴァルトでの森林浴やキャンプ、高原でのスポーツ、リハビリテーション施設やレクリエーション施設など、観光目的というよりもむしろ、Ferienstraßeの元来の意味である「休暇街道」としての色合いが濃い街道である。しかし、ローマ時代の遺跡などの古代遺跡、ユネスコ世界遺産に登録されているロルシュの修道院跡やヴォルムス大聖堂をはじめとする中世の建造物、手入れの行き届いた木組み建築が多く遺されている点など、観光への訴求力も期待できる街道である。 ==行程(主な観光地)== ;ヴォルムス (Worms) :ヴォルムスは、紀元前のケルト時代にはすでに集落が形成されていた、ドイツで最も古い歴史を誇る町の一つである。5世紀にはブルグント王国の首都として栄えた。この当時のヴォルムスとその周辺が、中世叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の重要な舞台であり、英雄ジークフリートの最期の地である。ニーベルンゲン=ジークフリート街道はこの叙事詩にちなんで命名された。 :ヴォルムス大聖堂は、その入場の順番を巡ってジークフリートの妻クリエムヒルトとグンター王の妻ブリュヒントが諍いを起こし、ジークフリートが殺害される遠因となった場面の舞台であるが、現在の建物は11世紀から12世紀に建築改修を繰り返された建物で、叙事詩に登場する建物ではない。この大聖堂は、神聖ローマ帝国の帝国議会が開催された場所であり、1521年マルティン・ルターの破門が決定したのもこの建物においてのことであった。 :ライン川の畔の財宝を沈めるハーゲンの像やニーベルンゲン博物館などもある。また、毎年開催されるニーベルンゲン演劇祭 (Wormser Nibelungenfestspiele)も人気である。 ;ビュルシュタット (Bürstadt) ;ロルシュ (Lorsch) :764年に建立された修道院の門前町として繁栄した。修道院自体は10世紀の大火で焼失し、以後再建されるも失火を繰り返し、現在遺された創建当時の建造物は入り口の門だけである。しかし、この門はカロリング朝の建築物としてアーヘンの聖堂と並んで文化史上極めて貴重な遺構であり「ロルシュの王立修道院とアルテンミュンスター」としてユネスコの世界遺産に登録されている。 :この街の教会にはジークフリートの棺とされる棺が遺されている。 街道はここロルシュから、ニーベルンゲン街道とジークフリート街道に別れオーデンヴァルトへと入って行く。ニーベルンゲンの歌では、ジークフリートはワスケンの森へ狩りに出かけた時にハーゲンによって暗殺されたと詠われているが、その森はヴォルムスからライン川を渡ってまっすぐという伝承から、現在のオーデンヴァルトがその舞台であったとされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニーベルンゲン=ジークフリート街道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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