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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
コーネリアス・"ニール"・ボール(Cornelius "Neal" Ball, 1881年6月30日 - 1957年10月15日)は、主に1910年代に活躍したメジャーリーグベースボールの野球選手。主なポジションは遊撃手。アメリカ合衆国のミシガン州生まれ。右投げ右打ち。7年間メジャーリーグに在籍した守備的内野手で、1909年にメジャーリーグ初の『一人トリプルプレー』を完成させたことで知られている。 == 来歴・人物 == メジャーでプレーする前は、1902年に地元ミシガン州のスリーリバースのセミプロチームでプレーしていた記録が残っている。1907年にニューヨーク・ハイランダース(現ヤンキース)と契約してメジャーデビューしたのは26歳の時だった。1908年には132試合に出場し、リーグ6位の32盗塁を記録している。 1909年シーズン中にハイランダースから放出されクリーブランド・ナップスに移籍する。1909年7月19日のボストン・レッドソックスとの試合で、ボールは2つの守備記録を樹立する。1つはメジャーリーグ史上初となる無補殺三重殺(unassisted triple play)だった。ボストンの打者アンビー・マッコーネルのライナーを捕球したボールは、そのまま二塁を踏んで二塁走者ヘイニー・ワグナーをアウトにし、その後一塁から走ってきた走者のジェイク・スタールにタッチして三重殺を完成させる。同時にこの試合でボールは9つの刺殺を記録し、1試合の遊撃手の刺殺数の最多記録も樹立した。 打率はナップスで1911年に.296を記録したのがキャリアでは最高の数字である。1912年シーズン中にボストン・レッドソックスに移籍し、彼はワールドシリーズに出場する機会を得た。ワールドシリーズには代打として1打席だけ登場したが、三振に終わった。 1913年までレッドソックスに在籍した後メジャーから降格し、その後1923年までマイナーリーグで選手や監督を勤めていた。 1957年にコネチカット州で死去。無補殺三重殺を完成させた試合で使っていたグローブは、アメリカ野球殿堂に寄贈されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニール・ボール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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