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ニーレジハーザ : ミニ英和和英辞書
ニーレジハーザ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ニーレジハーザ : ウィキペディア日本語版
ニーレジハーザ[ちょうおん]

ニーレジハーザハンガリー語Nyíregyháza (IPA: /ɲireɟhazɒ/)は、ハンガリー北東の都市。サボルチ・サトマール・ベレグ県の県都。国内7番目の人口を抱える。


== 歴史 ==
ニーレジハーザの名前が初めて記録に残されたのは1209年で、当時はただニール(''Nyír''、カバノキを意味する)とだけ呼ばれていた。1326年の文献によれば、町には教会が1つあり、エジハーズ(''egyház''、教会を意味し、文語的には一つの家を意味する)と記載されていた。15世紀半ばには、町の人口はおよそ400人であった。16世紀、オスマン帝国ハンガリーを支配した間、ニーレジハーザは荒廃し、1630年代から1640年代にだけ再び定住がされただけだった。
トランシルバニア公ラーコーツィ・フェレンツ2世が率いたハンガリー独立戦争後、町の人口が増加した。新たな移住者のほとんどがスロバキアからやってきた。1786年、ニーレジハーザは年に4日間市場を開く権利を授与され、この時から町は7,500人の人口を抱える地方一の町となった。19世紀初頭、ニーレジハーザは封建領主Dessewffy家とカーロリ家(Károlyi)から自由となったことから十分に裕福となった。この繁栄した時代に町に新たな町庁舎、病院、学校数校ができた。
町の住民は、1848年-1849年独立革命において率先して身を投じ、革命が抑圧された後、市長マールトン・ハツェル(Márton Hatzel)を含む多くの住民が投獄された
19世紀半ば、ニーレジハーザはさらに都市化が進み、町はサボルチ県(現在はさらに大きなサボルチ・サトマール・ベレグ県に含まれる)の県都となった。1858年、鉄道路線がニーレジハーザへ通り、電話局、主要郵便局、劇場を含む新たな建物が建った。1911年、トラム路線が完成した。
第一次世界大戦での多くの試みと苦難の後、ニーレジハーザは10ヶ月間ルーマニア王国に占領された。2つの世界大戦の端境期に、市は封建領主からの解放100周年を祝った。
第二次世界大戦中、ニーレジハーザのユダヤ系住民6,000人以上がホロコーストの犠牲となり、その他に2,000人の市民がソビエト連邦内の政治犯収容所へ送られた(ハンガリー人強制労働)。クオ・シナゴーグ(現在は正面の壁が保存され、ニーレジハーザ・ユダヤ人墓地となっている)を含むいくつもの建物が破壊された。
1960年代から、市は急速な発展を遂げた。現在、ニーレジハーザはハンガリー有数の繁栄する都市となり、教育の中心と人気のある観光地でもある。音楽イベントや、秋の祭りニールシェーギ・エース(Nyírségi Ősz)開催中には特におびただしい数の観光客が集まる。ヨーロッパ最大のワールド・ミュージックの祭典が毎年9月上旬に開催される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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