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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
Neve Electronics (ニーヴ) は年前の1961年にルパート・ニーヴ(''Rupert Neve'')によって設立されたレコーディング・スタジオ及び放送局スタジオ向けのミキシング・コンソールと、そのモジュール類などを設計生産していた音響機器メーカー。1985年、シーメンス・グループに買収され、その後年前の1992年にはシーメンス・グループの傘下で、AMS 〔世界中に導入された実績がある、rmx-16やdmx-15 '80sなどのレコーディング・スタジオ用デジタル・エフェクト・プロセッサーを設計生産していた企業。正式表記は「Advanced Music Systems」〕 社と合併し、現在では AMS Neve となっている。 == 来歴 == Neve社は電子機器設計のエンジニアであるルパート・ニーヴによって1961年に設立されたプロフェッショナル向けのスタジオ用機材を設計開発及び製造を行っていたイギリスの音響機器メーカーで、Neve社の製品はレコーディング・スタジオや放送局のスタジオなど、ミキシング・コンソールの大規模化に伴い多くのモジュール 〔H/A(マイク入力を持ち上げるアンプの一種)などの機能を持つ回路が小分けされたユニットとして成立していて、その集合体の事を「モジュール」と呼称する。〕 及びコンソールのシステム構築を行っていた。回路設計上ではソリッド・ステートで構成されるディスクリート 〔トランジスタ、抵抗、コンデンサ、コイルなどの単体部品の組み合わせで構築されている回路の事を指し、それらの機能をひとまとめにしたICなどの集積回路を用いた回路とは区別されている。〕 回路を選択していて、真空管は用いられず、当時としてはゲルマニウム・トランジスタが主流だったため、現在のシリコンを用いたトランジスタ回路とは音色などに違いがある。 1964年には、ロンドンのフィリップス・レコーディング・スタジオからのオーダーを受けてミキシング・コンソールの設計を行い、Neve#1064 H/A-EQを搭載したコンソールを完成させた。その後もオーダーに応じて様々な機種を設計開発し、その後Neve製コンソールはイギリスだけに留まらず世界各国に向け輸出されるようになった。1968年にはソリッド・ステート型のリミッター・コンプレッサーである Neve#2254 が設計され、現在でもダイナミクス系機材の代表機種となっている。 アメリカへは1968年頃から輸出されるようになり、ニューヨークの Vanguard Records(バンガード・レコーズ)所有のスタジオが最初にNeve社製ミキシング・コンソールを導入した。その後Neveはアメリカ市場でも浸透してゆくメーカーとなった。1970年にはウェッセックス・スタジオからのオーダーに合わせてNeve#1073 H/A-EQが設計され、現在でも人気を誇るモジュールとなっている。 1970年代に入るとレコーディング・スタジオ向けだけではなく放送局用のコンソールも製造され、1973年にはNeve#1081 H/A-EQを搭載したミキシング・コンソールの#8048が生産された。放送局スタジオ用とレコーディング・スタジオ用とは求められる仕様に若干の違いがあるため、各々の用途に応じたモジュール構成や回路設計で、クライアント毎にオーダー時にカスタマイズ可能な仕組みも持ち合わせたコンソール設計方法になっていた。 Neve#1081及び8048が発表された1973年、ルパート・ニーヴはNeve Electronics社を Bonochord グループへ売却して経営の方からは引き、機材の設計開発だけに専念するようになった。その後1975年にNecam System 〔ミキシング時にフェーダー位置情報をコンピューター・オートメーションで管理し、フェーダーに搭載されたマイクロ・モーターでフェーダーをムービングさせ、書き込んだときと同様のフェーダー・バランス再現を専用コンピューターとの連携で実現させたミキシング・システム。〕 を完成させ、George Martin(ジョージ・マーティン) 〔ビートルズのプロデューサーで、1965年にEMI傘下のParlophone Labelから独立して、AIRという組織を作り外部プロデューサーとなり、AIR Studiosを立ち上げた。他にもカリブ海のモントセラト島にAIR Montserratというスタジオを所有していたが、ハリケーンの被害によりスタジオが壊滅してしまい、現在では存在しない。〕 が所有するロンドンのAIR スタジオへ導入された後の1977年頃まで、ルパート・ニーヴは Neve Electronics社に留まり設計開発を行っていた。そして、1979年にはデジタルとアナログ両面からの技術でコンソールの#8108が開発された。 1980年代に入ると、DSPなどを用いたデジタル機種の設計開発プロジェクトに莫大な投資が掛かってしまい、Neve Electronics社は財政面で苦境に立たされるようになった。その開発プロジェクトにはNecam Systemでのコンピューターを利用したフェーダー・オートメーション機構開発や、バス・アサイン 〔音声信号を特定の送り先に振り分ける「バス」という回路へ、任意の音声信号を振り分けるために専用回路を選択する動作のこと。〕 を電気接点で切り替える回路ではなく、デジタル技術を利用して電子的に切り替えるシステムなども含まれていて、当時はデジタル機器の設計開発には莫大な予算が必要な時代でもあり、そのような分野だった事で財政面を圧迫した結果になった。 年前の1985年にはNeve Electronics社はシーメンス・グループに買収され、その後年前の1992年には同じくシーメンス・グループに買収されていたデジタル・プロセッサー開発大手のAMS社と合併する形でAMS Neve社となり、現在のその姿となっている。 ルパート・ニーヴが設計した機種は、ディスクリート回路設計を基本路線に様々な機種が製造され、1960年代後半にはNeve独特のサウンドとコンソール設計思想が世界中から支持され、現在でも当時の機材がビンテージ機材市場で高値取引され使われ続けているなど、スタジオ用機材の原点にもなっている。 〔因みに、1970年発売のNeve#1073 H/A-EQは2009年現在の市場では1チャンネル分がコンディションによっては60万円程?するなど非常に高値で取引されているが、それでも供給が需要に追いつかないほどの人気機種になっている。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Neve Electronics」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Neve Electronics 」があります。 スポンサード リンク
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