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ヌリア・リャゴステラ・ビベス(Nuria Llagostera Vives, 1980年5月16日 - )は、スペイン・パルマ・デ・マヨルカ出身の女子プロテニス選手。WTAツアーでシングルス2勝、ダブルス16勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス35位、ダブルス5位。身長156cm、体重53kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 == 来歴 == 1996年にプロに転向。2001年全豪オープンで予選を勝ち上がり4大大会に初出場し、キム・クライシュテルスとの3回戦まで進出した。全仏オープンでも3回戦まで進出したがその後は長く低迷が続いた。 2005年5月のSARラ・プリンセス・ラーラ・メリヤム・グランプリで初めてのツアー決勝に進出し鄭潔を 6–4, 6–2 で破りツアー初優勝を果たす。全仏オープンでは1回戦で第23シードの杉山愛を 6-3, 4-6, 6-4 、3回戦では第13シードのナタリー・ドシーを 7-6 (1), 6-3 で破り4大大会シングルス最高成績の4回戦に進出した。4回戦では第2シードのマリア・シャラポワに 2-6, 3-6 で敗れた。大会終了後のランキングで自己最高のシングルス35位を記録している。 2005年から女子国別対抗戦フェドカップの代表に選ばれ、1回戦でアルゼンチンのヒセラ・ドゥルコを 6-4, 4-6, 6-3 で破り2勝2敗で迎えた最終戦のダブルスでもアナベル・メディナ・ガリゲスと組みヒセラ・ドゥルコ&マリア・エミリア・サレルニ組を 6-4, 6-4 で破り通算成績3勝2敗で勝利した。準決勝のフランス戦ではマリー・ピエルスに 4-6, 4-6、アメリ・モレスモに 3-6, 1-6 で敗れ通算1勝3敗で敗退した。2008年の中国とのフェドカップ準決勝ではシングルスで鄭潔を 6-4, 6-3 、彭帥を 6-4, 6-4 で破りダブルスと合わせて3勝を挙げスペインの勝利に貢献した〔Fed Cup - Tie details - 2008 - China, P.R. v Spain 〕。決勝でスペインはロシアに0勝4敗で敗れ準優勝に終わった。 2008年からはマリア・ホセ・マルティネス・サンチェスと組みダブルスで活躍する。2008年全仏オープンと2008年ウィンブルドン選手権でベスト8、2009年は全仏オープン以外の3大会でベスト8に進出し、最終戦のWTAツアー選手権にも出場し初戦でビーナス・ウィリアムズ&セリーナ・ウィリアムズ組を 2-6, 6-4, で破り決勝に進出。決勝ではカーラ・ブラック&リーゼル・フーバー組を 7-6(0), 5-7, で破り優勝し初めてのビックタイトルを獲得した。 リャゴステラ・ビベスはオリンピックスペイン代表として、2008年北京五輪と2012年ロンドン五輪の2大会に出場している。北京五輪ではシングルス1回戦でチェコのクララ・ザコパロバを 2-6, 6-3, 7-5 で破り初戦を突破し、2回戦で中国の鄭潔に 7-6(7), 1-6, 4-6 で敗れた。マルティネス・サンチェスとのダブルスでは1回戦でロシアのエレーナ・ベスニナ&ベラ・ズボナレワ組に 6-2, 1-6, 3-6 で敗れた。ロンドン五輪ではマルティネス・サンチェスと組んだダブルス1回戦でオーストラリアのケーシー・デラクア&サマンサ・ストーサー組を 6-1, 6-1 で破ったが、2回戦で中国の彭帥&鄭潔組に 2-6, 4-6 で敗れた。 リャゴステラ・ビベスは2012年からダブルスに専念している。2013年7月の大会でのドーピング検査で禁止薬物のメタンフェタミンが検出され2年間の出場停止処分を受け、現役引退を発表した〔Nuria Llagostera Vives Retires From Tennis Following Two Year Ban 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヌリア・リャゴステラ・ビベス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nuria Llagostera Vives 」があります。 スポンサード リンク
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