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ヌルスルタン・アビシュリ・ナザルバエフ(ナザルバーエフ、カザフ語:、ロシア語:、''Nursultan Abishevich Nazarbayev''、1940年7月6日 - )は、カザフスタンの政治家で初代大統領(1990年4月 - )。 == 経歴 == *1977年 - 1979年、カラガンダ州共産党委員会書記、後に第2書記 *1979年、カザフ共産党中央委員会書記 *1984年、カザフ・ソヴィエト社会主義共和国閣僚会議議長(首相)〔 *1986年、ソビエト共産党中央委員会委員。ゴルバチョフ政権下で中央アジアの代表として台頭してくる。 * ゴルバチョフ書記長は、この年、ブレジネフの盟友だったディンムハメッド・クナーエフ・カザフ党第一書記(政治局員)を解任し、ロシア人のゲンナジー・コルビンをカザフ党第一書記に任命したが、これに対して、同年12月にカザフ人の暴動が起こる(アルマアタ事件)。同事件はカザフ人であるナザルバエフを重用する必要性を高めた。 *1989年6月、コルビンの後任としてカザフ共産党中央委員会第一書記に就任〔 *1990年2月カザフ共和国最高会議議長、4月カザフ共和国大統領〔、7月、ソビエト共産党中央委員会政治局員 *1991年12月1日、カザフスタン共和国大統領に選出、同月10日、国名をカザフスタン共和国へ変更〔。 * 1991年12月25日、ソ連崩壊に伴い、カザフスタンは独立国家として国際的に承認される。国際連合には1992年3月2日に加盟。 *1994年4月、来日〔 *1995年4月、国民投票により任期を2000年まで延長 *1999年1月、期限前に実施された大統領選挙で再選(任期は7年)〔 *1999年12月、日・カザフスタン経済合同会議に出席するため来日〔 *2005年12月、前倒しされた大統領選挙で圧倒的得票率で3選された〔。 *2007年5月12日、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領、トルクメニスタンのグルバングル・ベルディムハメドフ大統領と共同でカスピ海に沿うガスパイプライン新設の合意を発表した。 *2007年5月18日、カザフスタン議会はナザルバエフを終身大統領とする決議案を圧倒的賛成多数で可決。同日採択された憲法改正案で大統領任期を7年から5年に削減、3選禁止規定も残されたが、ナザルバエフは「独立国家カザフの創始者」であるため、大統領の任期は適用されない。しかしナザルバエフはこれを断り、大統領選挙は2012年実施、2005年に選出された現在の大統領任期は2013年初頭までとされた。 *2008年6月18日、来日。福田康夫首相との首脳会談で、原子力の平和的利用などエネルギー分野での二国間協力の合意がなされ、調印した。 *2011年2月、2012年に予定されていた大統領選挙を前倒して実施するために憲法修正法案に署名 *2011年4月3日に大統領選挙が実施され、得票率95.5%を獲得して当選し4選を果たした。 * 2010年末に、2020年まで大統領任期を延長することを決めるための国民投票実施を要求する国民の署名運動が開始され、署名者数は500万に達した。カザフスタン議会も12月14日に、国民投票を可能にする憲法改正案を可決。しかし憲法評議会が議会主導の改憲の動きを違憲と判断した。これを受けて大統領は任期延長提案を拒否し、逆に大統領選挙の前倒し実施を提案した。 * 同選挙での立候補者はナザルバエフ以外に3人いたが、3人ともナザルバエフの2020年までの任期延長に賛成していた人物であり、しかもそのうちの1人はナザルバエフに投票した〔国際監視団は批判 AFPBB・2011年4月4日、2013年11月21日観覧〕、と発言するなど、国際社会、特に欧米からは「競争原理のみられない選挙」と批判された。得票率95.5%〔は1991年12月に行われた大統領選挙で獲得した98.7%に次ぐ高率で、1999年の得票率79.78%と2005年の得票率91.15%を上回り、独立以後の大統領選挙では過去最高となった。 *2014年2月、カザフスタンの国際的な知名度向上のため、国名を「カザフエリ」(カザフ語でカザフ人の土地の意)」に変更する考えを表明した。 *2014年5月、ロシアのプーチン大統領、ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領とともにユーラシア経済連合の創設に関する条約に調印し、締約国の各議会に対して条約の批准を同時期に行うことを提唱した。 *2015年4月、予定任期を1年前倒しして行われた大統領選挙で得票率97.7%を獲得し5選を果たした。 ナザルバエフは「安定と経済発展」を唱えカザフスタンの潤沢な天然資源を輸出してカザフスタン経済の成長を実現した〔。国民1人当たりの国内総生産は中央アジアでも卓抜しロシアと並ぶほどに成長している〔。カザフスタン議会は2000年にナザルバエフの議案提出権や不逮捕特権を終身付与する法案を可決し、2001年にはナザルバエフに対して「人民英雄」の称号を付与する議案もほぼ全会一致で可決している。3人の娘がおり、末娘のアリヤは、キルギス共和国のアスカル・アカエフ元大統領の息子と結婚し、(ただし後に離婚し、アカエフも大統領職を追われた)。男児がいないため、長女・ダリガは後継者候補として有力であるとされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヌルスルタン・ナザルバエフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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