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ヌーリ・ジョンケル : ミニ英和和英辞書
ヌーリ・ジョンケル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヌーリ・ジョンケル : ウィキペディア日本語版
ヌーリ・ジョンケル[ちょうおん]

ヌーリ・ジョンケル (Mehmet Nuri Conker)は、オスマン帝国末期およびトルコ共和国初期の軍人。トルコの政治家。ムスタファ・ケマル・アタテュルクの最も古くからの友人として知られている。〔Erik Jan Zürcher, ''The Unionist Factor: Tthe Role of the Committee of Union and Progress in the Turkish National Movement, 1905-1926'', BRILL, 1984, ISBN 9789004072626, p. 48. 〕最終階級は大佐。
==オスマン帝国==

1881年10月13日 (ルーミー暦1297年9月30日)、サロニカ (トルコ語名:セラーニク、現テッサロニキ)で〔Murat Koraltürk, "Bir Dostun Kapısını Çalanlar! Nuri Conker'e Gelen Mektuplar", ''Tarih ve Toplum'', Sayı 218, Şubat 2002, pp. 42-48.〕オスマン・ベイとアイシェ・ハヌムの息子として生まれた。〔Türk Parlamento Tarihi Araştırma Grubu, ''Türk Parlamento Tarihi: TBMM - II. Dönem 1923-1927 - III. Cilt: II. Dönem Milletvekillerin Özgeçmişleri'', Türkiye Büyük Millet Meclisi Vakfı Yayınları, Ankara, 1995, ISBN 975-7291-04-8, p. 567. 〕
サロニカ陸軍幼年学校、モナスティル陸軍少年学校を経て、1902年12月6日に陸軍士官学校 (1318年入学組歩兵科15席)を歩兵少尉として卒業した。12月7日に陸軍大学に進み、1905年10月23日に同学を優秀大尉として修了し、第42予備連隊第4中隊長に任命された。〔T.C. Genelkurmay Harp Tarihi Başkanlığı Yayınları, ''Türk İstiklâl Harbine Katılan Tümen ve Daha Üst Kademlerdeki Komutanların Biyografileri'', Genkurmay Başkanlığı Basımevi, Ankara, 1972, p. 174. 〕
1907年、第3軍第5狙撃大隊副大隊長、第5軍下士官学校長を歴任した。1908年、模範大隊の教官補となり、ドイツ帝国皇帝ウィルヘルム2世を大隊とともに、ヤニヤ (現ヨアニナ)で出迎え、皇帝の閲兵を受けた。1909年4月13日の3月31日事件が起きると、4月11日、イスタンブルに入城しマチカ兵営兵舎を占拠し、4月24日のタシュクシュラの戦いに参加した。〔Türk Parlamento Tarihi Araştırma Grubu, ''Ibid.'', p. 568.〕
1910年にサロニカの参謀士官養成所副司令官となった後、アルバニア反乱の鎮圧任務に就いた。1911年3月31日、試験に合格し参謀となった。1911年6月9日、ユスキュプ二等予備師団の参謀となり、10月18日、伊土戦争が勃発すると、ベンガジ地区に派遣され、12月19日、ベンガジ戦隊参謀に任命された。1912年5月23日、少佐に昇進し、トリポリタニアで活動した後、10月3日、イスタンブルに戻った。バルカン戦争では、トゥルグート・レイス級装甲艦トゥルグート・レイス」付参謀を経て、ダーダネルス海峡要塞地区参謀、カヴァク支隊参謀を歴任し、1913年2月8日、ボラユル地区で負傷し、治療のため、1913年4月14日から1ヶ月半程ドイツに滞在した。〔T.C. Genelkurmay Harp Tarihi Başkanlığı Yayınları, ''Ibid.'', p. 175.〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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