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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ネオユニヴァース () は日本の競走馬、種牡馬。馬名は「新しい宇宙」を意味し、兄の名前にあるスター、プラネットから天体を連想するものとなっている。また、馬名の名付け親がL'Arc〜en〜Cielのファンであり、同バンドのヒット曲「NEO UNIVERSE」から取ったともされる。一口馬主として俳優の宮川一朗太が出資していたことで知られている。 == 戦績 == === 2002年・2003年 === 2歳の11月にデビュー。2戦目で3着に敗れるが、その後白梅賞、きさらぎ賞 (GIII) 、スプリングステークス (GII) と順調に勝ち進んだ。当初は福永祐一が主戦騎手として騎乗していたが、福永の騎乗馬に2歳王者のエイシンチャンプ(同じく瀬戸口厩舎所属)がおり、競合を避けるためスプリングステークスからミルコ・デムーロに乗り替わった。 スプリングステークス後、皐月賞に出走。僚馬エイシンチャンプ(3着)を押さえGI初制覇。1着でゴール板を駆け抜けた直後、2着に入ったサクラプレジデントの鞍上・田中勝春の頭を騎乗していたデムーロが叩いたことは有名(勝春がゴール後に悔しくて下を向いたので「下なんて向いていないで祝福しておくれ」と言う気持ちで叩いたようである)。 続く東京優駿では、重馬場の中二冠を達成し、デムーロは外国人騎手初のダービージョッキーとなった。 その後、従来であれば休養に入るはずではあるが、3歳馬ながら宝塚記念に挑戦。同馬はすでにこの年5戦を消化している上、消耗の激しいGIレースを連続して使っていることから、この挑戦は多くの議論を巻き起こした。レースでは2番人気に推されながら4着に敗れた。 この時点でM.デムーロは、外国人騎手の短期免許は1年のうち3か月までという規定により、秋のGIでは騎乗不可能であった。しかしJRAが「同一馬で同年にGIを2勝以上した場合、その年にその馬がGIに参戦する開催日にのみ短期免許期間に関わらず騎乗を認める」と競馬施行規程を一部改正したことにより、秋はGIレースに限り騎乗が認められることになった。 そして秋、上記の外国人短期免許の規定のため、かつての主戦福永へ乗り替わって挑んだ神戸新聞杯では、春のGIで2着に負かしたゼンノロブロイ、サクラプレジデントに先着され3着に敗れる。その後、デムーロ騎乗で三冠の期待がかかった菊花賞に出走するが、直線伸びきれずザッツザプレンティの3着に敗れた。続いてジャパンカップに挑戦するが、不良馬場に切れ味をそがれ、またも伸びきれずタップダンスシチーの逃げ切りを許し、4着に敗れた。その後の有馬記念は出走せず放牧に出された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ネオユニヴァース」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Neo Universe 」があります。 スポンサード リンク
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