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バロック建築(Baroque Architecture)は、1590年頃から盛んになった建築様式。建築そのものだけではなく、彫刻や絵画を含めた様々な芸術活動によって空間を構成し、複雑さや多様性を示すことを特徴とする。特に内部空間の複雑な構成は、他の建築様式とは際立った特色となっている。 バロックの語源はポルトガル語のBarocco(歪んだ真珠)といわれ、元々は一部に見られるグロテスクなまでに装飾過剰で大仰な建築に対する蔑称であったが、のちに広く17・18世紀の美術・建築に見られる傾向を指す様式概念として用いられるようになった。 :19世紀の様式氾濫期になるとバロック様式が国家建築にふさわしい様式として復興したが、これについては歴史主義建築を参照。 == 概説 == バロック建築は、彫刻や絵画、家具などの諸芸術が一体となった総合芸術となっていることを特徴とする。現代的な視点では、彫刻や家具といったものは建築とはあまり関わりなく存在しているが、バロック建築において、これらは建築とは不可分の要素であった。このような芸術活動には、莫大な知識の集積と多くの芸術家を抱えられるだけの資本が必要であったが、これを支えたのが世俗化された教会権力と絶対王政であった。 バロック建築は、宗教改革によって低下したカトリック教会の政治的権威を芸術活動によって補おうとしたシクストゥス5世や、パウルス5世などの活動により、16世紀末から17世紀初期にかけてローマで始まった。やがてイタリアでのバロック建築は衰退するが、絶対王政を敷く大国フランス王国に継承され、太陽王ルイ14世のもとで絶頂期を迎えた。バロック建築は、さらに当時の強国であったオーストリア大公国、プロイセン王国、スウェーデン王国、ロシア帝国などにも波及し、ボヘミアでは独特なバロック建築を生み出す。しかし、他に比べ王権力が弱いイギリスなどではフランスやオーストリアのようなバロック建築はあまり取り入れられなかった。他方、スペイン帝国やポルトガル王国によってラテンアメリカやフィリピンにもキリスト教化の推進に伴いバロック建築の教会が多数造営された(ウルトラバロック参照)。また、キリスト教国ではないオスマントルコにおいて、18世紀から19世紀にかけての西洋化改革に伴い、領内に多数のバロック建築が生み出された。 バロック建築は彫刻や調度品が建築の一部を形成するため装飾に対する嗜好性が見られ、後期にはサロン文化の隆盛に伴って、室内装飾に重点が置かれるロココと呼ばれる傾向を示すようになる。しかし、18世紀になるとロココの繊細で洒落たデザインは軽薄で軟弱なものと批判されるようになり、フランスでは新古典主義建築の勃興とともに衰えた。 19世紀の様式氾濫期になると、バロック建築が国家建築を飾るのにふさわしい様式として再び復興した(ネオ・バロック)が、近代建築運動の隆盛によって終息した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バロック建築」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Baroque architecture 」があります。 スポンサード リンク
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