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ネストル・アポロノヴィチ・ラコバ(、1893年5月1日 - 1936年12月28日)は、ソビエト連邦内アブハジアの政治家である。ソ連中央を無視した独裁者として振る舞い、アブハジアを自身の王国「ラコビスタン」として統治した一方で、ヨシフ・スターリンの旧友でありながら異例の寛大さで施政に当った人物でもある。かつては後の秘密警察長官となるラヴレンチー・ベリヤと親しく、ベリヤを積極的に取り立てもしたが、スターリンの不興を買うとやがてベリヤ当人によって葬られた。 重度の聴覚障害者であり、後に全聾となった〔セバーグ・モンテフィオーリ (2010a) 290頁〕。 == 生涯 == === 青年期 === 1893年5月1日、ロシア帝国の農家に生まれる。1911年に革命を煽動してチフリス神学校 (ru) を放校され、翌年にロシア社会民主労働党の党員となり、アジャリア、アブハジアや北カフカースで活動した〔。ラコバは他の多くの革命家と同様に銀行強盗を働いては警察に追われ、この時代に革命仲間のヨシフ・スターリンと親交を持った。 1917年の十月革命後には第1回カフカース地方ソビエト議会に出席している〔。1918年にスフムの軍事革命委員会 (en) で副議長としてゲリラ部隊を編成し、メンシェヴィキが指導するグルジア民主共和国に対する反乱を指揮した〔。しかし同年後半にスフミでメンシェヴィキに捕らえられ、1919年春にグルジアから追放された〔。 1921年にムスタファ・ケマル率いるトルコ大国民議会とロシア社会主義連邦ソビエト共和国の間に友好条約を締結した際、ラコバもロシア側の随員としてトルコへ赴いている。翌年に息子が生まれると、トルコの政治家ラウフ・オルバイに敬意を表して、息子に彼と同じ名を与えた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ネストル・ラコバ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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