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ネナド・ジョルジェビッチ(Nenad Đorđević、1979年8月7日 - )は、ユーゴスラビア(現セルビア)・ベオグラード市ゼムン区出身のサッカー選手である。ポジションはDF。本職はストッパーだが、中盤からサイドバック、ボランチもこなせるユーティリティプレーヤー。空中戦にも強く、激しいマークをみせる〔出典:『2007 J1&J2 リーグ選手名鑑』、2007年3月9日発行、ベースボール・マガジン社〕〔出典:''2006 FIFA World Cup Germany - DJORDJEVIC Nenad ''、2007年3月16日 (金) 20:01 (UTC)参照、2006FIFAワールドカップ公式サイト 〕。 == 来歴 == === クラブ === 地元、ゼムンのFKゼムンでキャリアをスタートさせ、その後、FKイェディンストヴォ・パラチンに売却される。パラチンでも目立つことなく、FKオビリッチに移籍。再びベオグラードに戻ることになった。オビリッチではDFとしての頭角を現し、国内のビッグ・クラブが注目する存在となった。2003年にパルチザン・ベオグラードに移籍する。パルチザンではキャプテンも務め、UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAカップでも活躍した。 彼はこれまでのキャリアのほとんどを、セルビア、しかもベオグラード近辺のクラブで過ごしてきたが、パルチザンとの契約は2007年シーズンオフで終了となるため、新しい移籍先を探していた。2007年、日本のジェフユナイテッド市原・千葉からオファーを受け移籍を決断。これが彼のキャリアで初めての海外移籍となった。 2007年、千葉ではアマル・オシムから全幅の信頼を得るに足らず20試合程度の出場に終わった。複数年契約だったため2008年も残留予定であったが、新監督となったヨシップ・クゼの意向もあり契約を解除し退団。その後、パルチザン・ベオグラードに復帰し、2008-09シーズンからは主将を務めた。 2010年4月8日、ロシアのクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラへ2年契約で移籍〔"Крылья" заявили защитника Ненада Джорджевича kc-camapa.ru 2010年8月1日閲覧〕。その僅か2日後にはサトゥルン・ラメンスコーエ戦(2対1で勝利)にてデビューを飾った〔Гол дебютанта Джорджевича принес "Крыльям" первую победу kc-camapa.ru 2010年8月1日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ネナド・ジョルジェビッチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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