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ノエル=レオン・モルガール(Noël-Léon Morgard or Mauregard, 生没年未詳)は、17世紀初期のフランスにおける代表的な占星術師の一人。人気を博した反面、批判にもさらされた。 モルガールはトロワで16世紀末頃に生まれたとされるが、それ以外の経歴などは分かっていない。しかしながら、17世紀初め頃に暦書や予言書を相次いで刊行し、当時その名は代表的な占星術師の一人として認識されていた。そのことは1634年に刊行された『新たに彼岸に到着した三人のユダヤ人占星術師モルガール、プチ、ラリヴェの遭遇と難破』などの書名にも垣間見ることが出来る(これは、彼らを嘲笑する作品であるという)。 彼の著書には、ノストラダムスの六行詩集と全く同じ内容の『1600年に祝儀としてアンリ大王に献上されたノエル=レオン・モルガール師の予言集』や、『今年1614年向けのサンチュリ』など、ノストラダムスのスタイルを強く意識したものが含まれている。後者を含んだ別の著書として『今年1614年向けの、サンチュリを付記したモルガールの予言』があるが、これに対しては、『今年1614年向けの予言に関する反モルガール』と題する反論本が出された。 彼の予言には、王家に批判的なものが含まれていたために、1614年1月にバスティーユ牢獄に投獄され、翌月、ガレー船での9年間の漕役刑を宣告されたと伝えられている。この辺りの詳細は不明だが、当時刊行された『モルガールのホロスコープ』に収録された風刺詩でも、漕役刑の刑期が9年間であることが示されている。その刑期中に没したと推測する者もいるが、定かではない。 == 書誌 == === モルガールの著書 === *『1600年に祝儀としてアンリ大王に献上されたノエル=レオン・モルガール師の予言集』(''Prophéties de Maître Noël-Léon Morgard,... présentées au roi Henry le Grand, pour ses étrennes en l'an 1600'', 刊行地・刊行年の記載なし) *:1605年以降の『ノストラダムス予言集』に収録された六行詩集を流用したもの。 *『パントコスム、すなわち天文観測の普遍的用具の周知、指導および使用法』(''Déclaration, instruction et usage du pantocosme ou instrument universel concernant les observations astronomiques'', パリ、1612年) *『暦法上の1年目1613年向けの暦』(''Almanach pour l’année première civile, 1613'', 刊行地未詳、1612年) *『暦法上の2年目1614年向けの暦』(''Almanach pour l'année seconde civile mil six cent quatorze'', 刊行地未詳、1613年) *『1614年向けのモルガールのサンチュリ』(''Centuriées de Morgard pour l'année 1614'', 刊行地・刊行年の記載なし) *:この場合「サンチュリ」は単に四行詩の換称として用いられており、彼のサンチュリは僅か7篇の四行詩で構成されているにすぎない。この小冊子はガリカ()で見ることができる *『今年1614年向けの、サンチュリを付記したモルガールの予言』(''Prédiction de Morgard pour la présente année M. DCXIV, avec les centuries, pour la mesme année'', 刊行地・刊行年の記載なし) *『ノエル=レオン・モルガールの宣言書』(''Le Manifeste de Noël-Léon Morgard'', パリ、1619年) *『ノエル=レオン・モルガールの宣言書第二部』(''Seconde partie du Manifeste de Noël-Léon Morgard'', パリ、1619年) *:最後の2冊では、モルガールはまだ漕役刑の刑期中でガレー船の漕役に従事していると語っている。チオラネスキュの書誌では2冊とも偽書と注記されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ノエル=レオン・モルガール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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