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16世紀フランスの医師・占星術師ミシェル・ド・ノートルダムことノストラダムスの一族は、平凡なユダヤ系フランス人の家系である。しかし、ノストラダムスが予言者として祭り上げられる過程でその出自について粉飾が行われ、彼を予言者と信じる人々(以下「信奉者」)の間で踏襲されていった。これに対し、20世紀以降になると、実証的な立場から彼の一族について解明しようとする動きが見られるようになった。 == 旧説 == === 先祖についての粉飾 === ノストラダムス自身は、先祖についてはかなり漠然とした形でしか述べていなかった。しかし、その弟ジャン・ド・ノートルダムや息子セザール・ド・ノートルダム、秘書ジャン=エメ・ド・シャヴィニーらによって、先祖について粉飾した経歴が語られるようになった。 シャヴィニーは、その著書『フランスのヤヌスの第一の顔』(1594年)に収録した伝記「敬虔なるキリスト教徒たる歴代の国王アンリ2世、フランソワ2世、シャルル9世の常任侍医にして顧問であったミシェル・ド・ノートルダム師の生涯に関する小論」の中で、こう述べた。 彼の父ジャック・ド・ノートルダムはその地の公証人で、母はルネ・ド・サン=レミといった。その父方と母方の祖父たち(一方の名はピエール・ド・ノートルダム、もう一方はジャン・ド・サン=レミ)は占星術と医学に非常に長けた人物であり、医師として、一方はエルサレムとシチリアの王であったプロヴァンス伯ルネの侍医を、もう一方はルネ王の息子に当たるカラブリア公ジャンの侍医を、それぞれ務めていた。〔Chavigny (1594) p.1. なお、丸括弧の部分は原文では欄外注記である。〕 彼(引用者注・ノストラダムス)に天体の科学への最初の関心を、戯れのような形で持たせていた母方の曽祖父が亡くなると、彼は人文科学を学ぶためにアヴィニョンへ送られた。〔Chavigny (1594) p.2〕 また、ノストラダムスの息子セザールは、叔父ジャンから引き継いだ草稿を基にした大著『プロヴァンスの歴史と年代記』(1614年)でこう述べた。 諸言語に通暁していた高名にして博学なる医師ピエール・ド・ノートルダムはミシェルの祖父で、その当時はカラブリア公に仕えていた。公は彼のことを常に近侍させており、同じように善良王ルネにも仕えた。〔Nostredame (1614) p.628〕 これらは、伝説化の中でも特に早い時期に属している。さらに18世紀の伝記作家ピエール=ジョゼフ・ド・エーツになると、ノストラダムスの一族はユダヤの失われた十支族のひとつイッサカル族の末裔だとも述べた〔Haitze (1712) p.4〕。 こうした伝説が信奉者たちの著作に引き写されていく中でさらに膨んでいき、20世紀になるとノストラダムスはラビを輩出した家柄に属するなどと主張する者たちも現れるようになった〔五島勉 (1992) 『ノストラダムスの大予言 残された希望編』 祥伝社〈ノン・ブック〉、p.118〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ノストラダムス一族」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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