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ノリリスク・ニッケル(、ラテン文字表記の例:)は、ロシアの非鉄金属生産企業。ニッケル・パラジウムの生産において世界最大手であり、主にロシア北部のノリリスク-タルナフ地域で採掘・製錬を行う。2009年のニッケル生産量は30万1千トンで世界全体の22%、パラジウム生産量は280万オンスで世界の38%であった〔 パラジウム生産量はスティルウォーター分を除く。〕。白金や銅、コバルトなどの生産も手掛け、特に白金では子会社である米モンタナ州ビリングスのスティルウォーター・マイニング社(en)の生産量と併せ世界の4大生産者のひとつであり、銅の生産量でも世界10位以内に入る。なお企業名頭のГМК(MMC)はГорно-металлургическая компания(Mining and Metallurgical Company、採掘冶金会社の意)の略称で、日本語では省略され「ノリリスクニッケル」或いは「ノリリスク社」などとも表記される。 NASDAQとRTS株式市場に上場しており、オリガルヒとして知られるインターロス社のウラジーミル・ポターニンとルサール社のオレグ・デリパスカがノリリスク・ニッケル株の25%超をそれぞれ保有している。2010年12月、ノリリスク・ニッケルはルサール保有株を120億ドルで買い戻すことを提案したが拒否されたことが報じられた。 == 沿革 == ノリリスク近郊での鉱業生産は1920年代に始まった。1935年、ソ連政府はノリリスク・コンビナートを創設し、当時の内務人民委員部に管理を委ねた。1943年、ノリリスクは年間4000トンの精製ニッケルを生産し、1945年の目標生産量を年間10,000トンに定めた。鉱業及び金属生産業は初めグラーグ(ソ連強制収容所の管理部門)によって強制労働に従事させられた人々を労働力として操業されていたが、比較的高給であったことから次第に自発的な労働者が多数を占めるようになった。 ソ連崩壊後の1993年に株式会社RAO ノリリスク・ニッケルが設立された。2年後の1995年、ニッケル価格が低迷する中、当時のレートで毎日200万ドルの経費がかかり多額の負債を抱えていたノリリスク・ニッケルは、民間企業インターロスに譲渡された。1997年、民間移行の手続きが終わるころには同社は利益を生み、従業員に賃金を払える会社に変貌を遂げていた。今日では平均賃金は月1000ドルを超え、従業員は年2-3カ月は休暇を取得することができるまでに労働環境は改善したが、それでもなおノリリスクの労働及び生活環境は依然として厳しい。 2002年からは金鉱山資産の買収を始め、2005年にはポリウス・ゴールド社を立ち上げた。 2003年、ノリリスク・ニッケルは米スティルウォーター・マイニング社を傘下に置いた。同社は米国唯一のパラジウム生産業者であり、モンタナ州スティルウォーター群では白金族金属の採掘場を操業している。2010年11月、ノリリスク・ニッケルはスティルウォーター・マイニング社を売却すると発表した。 2007年、ノリリスク・ニッケルはロシア国外の鉱山や精錬所を多数買収し、オーストラリア、ボツワナ、フィンランド、南アフリカ、アメリカなどにまたがる多国間操業体制を構築した。2007年7月28日、当時ニッケル生産量世界第10位であったカナダのLionOre Mining International Ltd社株の90%を取得した。この買収(64億米ドル相当)はロシア企業が外国企業を買収した事例としては過去最大であり、この買収の結果ノリリスク・ニッケルは世界最大のニッケル生産企業となった〔Forbes 〕〔International Herald Tribune 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ノリリスク・ニッケル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Norilsk Nickel 」があります。 スポンサード リンク
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