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ノヴス(コローナとも呼ばれる)とは、カロムやビリヤードと密接に関係のある、2人(あるいはダブルスの場合は4人)で行う身体スキルのゲームで、ラトビア共和国の国技である。ノヴスの盤は一般的に木で作られ、四方およそ100センチの正方形で、四隅のコーナーには穴(ポケット)があり、盤の表面上には盤をいくつかのエリアに分ける線がある。盤は通常専用のスタンドに設置されるが、ポケットが適切な形でぶら下がる状態が確保できれば、樽などに設置しても良い。他のキュースポーツと異なり、ノヴスではボールの代わりに小さな円盤(パック)と、プレーヤーそれぞれが手玉として使う専用の大き目の円盤(ストライカー)が利用される。シングルスではパックが二色それぞれ8個で合計16個あり、ストライカーは2個ある。プレーヤーは、キューで自分のストライカーを自分の色のパックに当て、パックをポケットに落とす。自分の色のパック8個をすべて先にポケットに落としたプレーヤーが勝者となる。 ノヴスは非公式に「バルト海ビリヤード」あるいは「スカンジナビアンビリヤード」とも呼ばれることがあるが、これは誤称である。確かに、ノヴスは広い意味でキュー・スポーツの一つだが、ノヴスのテーブルはビリヤードのそれと大きく異なり、ボールも使用しない。 ==ノヴスの歴史== ラトビアノヴス連盟長ヤーニス・エーリクス・ピエバルグスによれば、ノヴスが初めて登場したのは1925-1927年頃で、北ヨーロッパ、特にラトビアとエストニアにおいてである。 ノヴスは、船上でできるゲームとしてビリヤードから発展したと思われる。その大きさのおかげで船上での設置が容易で、またビリヤードのボールと異なり、ノヴスで使う円盤が船の揺れの影響を受けにくいという点では、船上で使うことができる。そのため、ロシア語その他の言語でノヴスはしばしば「海のビリヤード」と呼ばれる。 ラトビアの水夫は、英国の港を訪れた際に、当地の飲み屋でノヴスに似たゲームを経験し、最初のノヴス盤は英国から持ち帰った設計図に従って製造された。当時、ノヴスが最初に広まったのはベンツピルス、リエパーヤやタリンの港町であった。国によって、ノヴスはそのエストニアの名称「コローナ」(王冠)、あるいはその他のローカルな名称で知られている。最古のルールの記録は1932年のものである。ノヴスはエストニアよりもラトビアで早く広まり、まもなくして国技として認定された。プロ協議としての最初の競技会は1932年に開催され、アルバート・ラミニシが一位を獲得した。 1963年12月6日にはラトビアノヴス連盟が設立。全国選手権大会が1964年から定期的に開催され、当初はシングルスのみであったが、1966年以来は団体戦も行われるようになった。そこでは男性の部、女性の部、そして年少者(15歳以下)の部が設けられた。 1980年には、ノヴス・コミュニティーに既に約55,000人のメンバーがあった。最近ではノヴス選手権大会は地域、都市、全国、そして世界のレベルで定期的に開催される。ノヴスはラトビアでは3つの最もポピュラーなスポーツの1つとなり、着実にアメリカ合衆国、カナダ、イスラエル、ジョージア、ウクライナ、オーストラリア、英国、ロシア、フィンランドおよびドイツで広まりつつある。 1993年以降、ノヴス国際選手権は毎年開催され、そこにはノヴス・コミュニティーの規模が大きい国、特にラトビアおよびエストニアからチームが参加する。 2006年9月30日には、ノヴスは最初のバルト海子どもオリンピックの競技リストに入った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ノヴス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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