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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ノーザンポラリス (''Northern Polaris'') は、日本中央競馬会 (JRA) に登録されていた競走馬で、引退後はノーザンホースパークで繋養されていた乗用馬である。 == 経歴 == === 競走馬時代 === 1994年の1月にデビュー。2戦目の新馬戦で初勝利を挙げると、弥生賞 (GII) でも5着となる。続く日本ダービー(東京優駿)のトライアル青葉賞 (GIII) でエアダブリンの2着に入り、1勝馬ながら日本ダービーの優先出走権を得た。 その年の日本ダービーには後の三冠馬ナリタブライアンが2冠をかけて出走しており、注目が集まっていた。そのような中、スタートで立ち上がり大きく出遅れし、後方追走を余儀なくされたが、4コーナーではナリタブライアンの真後ろから大外を追い込み5着に善戦した。 菊花賞でナリタブライアンの史上5頭目の三冠を阻止すべく嵐山ステークス(阪神)に出走、芝3000メートルの日本レコード(当時)となる3分4秒4で走りぬけ優勝した。 目標はあくまで菊花賞であったが、嵐山ステークス後に脚部不安を発症、症状は重度で長期休養を余儀なくされた。 1年半を経た1996年の3月、復帰戦は嵐山ステークスと同じ距離、同じ場所で施行された阪神大賞典。同競走にはナリタブライアンも出走しており、1歳年下のマヤノトップガンとの一騎討ちで注目を集めていた。ナリタブライアンとマヤノトップガンが2頭馬体を併せて4コーナーを回ると、その後ろから追い込んだノーザンポラリスだったが、6着に敗れた。その後、烏丸ステークスに出走し3着、再び休養に入る。 翌1997年、難波ステークス12着を経て春の天皇賞に出走したが7着。6月14日の福島市制施行90周年記念では1番人気に支持されたが、故障を発症し競走中止。そのまま引退し北海道苫小牧市のノーザンホースパークで乗馬となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ノーザンポラリス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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