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ノースウッド司令部(Northwood Headquarters)は、ロンドンに隣接するノースウッド近郊のイーストベリー(en、ハートフォードシャー)にあるイギリス軍の軍事司令部施設である。ノースウッド司令部には4つの軍事司令部が拠点をおき、4つの機能を統制している。(1) 常設統合司令部(Permanent Joint Headquarters) (2) 多国籍司令部 (3) イギリス海軍作戦司令官(Commander Operations) (4) 北大西洋条約機構(NATO)連合海上司令部。 ==歴史== ノースウッド司令部は、ノースウッドのイーストベリー公園の敷地内に設置されている。第二次世界大戦中の1939年、イギリス空軍は、イーストベリーの建物を利用し、地下壕と作戦室のネットワークを建設してた施設を、に利用させるために譲渡した。この建物は、その後火災によって損傷を受けたにもかかわらず、士官食堂として使用された。 1953年、大西洋連合軍(Allied Command Atlantic, ACLANT)の一部である東大西洋管区司令官(Commander-in-Chief, Eastern Atlantic, CINCEASTLANT)としてのNATOの責務をイギリス本国艦隊が獲得し、東部大西洋におけるNATO指揮系統がノースウッド司令部に設立された。しかしながら、本国艦隊総司令官は依然として将旗をポーツマス海軍基地に停泊するタイン(HMS ''Tyne'', F24)に掲げていた。1960年、本国艦隊総司令官がノースウッドに移転し、1963年にはノースウッド所在の海軍部隊はHMSウォリアー(HMS ''Warrior'')として就役した。1966年にはNATO海峡司令部(この司令部の司令官職もまた本国艦隊司令長官によって担われていた)がポーツマスからノースウッドに移転した。イギリス空軍は1969年にノースウッドを完全に退去した〔。 1971年、が設置されると、イギリス海軍が施設すべてを引き継ぎ、1978年には潜水艦隊司令官(Flag Officer Submarines)もノースウッドに司令部を移転させた〔。艦隊総司令官の司令部として、この施設はフォークランド紛争(1982年)において、コーポレート作戦を統制した〔Naval-History.org British Task Force Units accessed 23 Oct 06〕。 2002年、合理化に従い、艦隊総司令官は幕僚の大半をポーツマスに移転させ、ノースウッドを常設統合司令部に引き渡した。 2006年、ノースウッドの機能性を改善するための大規模な工事が開始された。この工事には、主要な建物の改装または建替えが含まれており、キャリロン社との契約によるPFIにより実施されている。2010年5月6日にはエリザベス2世女王が常設統合司令部棟の開設のためにノースウッドを訪れた。この常設統合司令部棟は1億5千万ポンドを投じた施設の再開発の一部である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ノースウッド司令部」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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