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ノースクリフ子爵 : ミニ英和和英辞書
ノースクリフ子爵[ししゃく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
子爵 : [ししゃく]
 (n) viscount

ノースクリフ子爵 ( リダイレクト:ノースクリフ子爵アルフレッド・ハームズワース ) : ウィキペディア日本語版
ノースクリフ子爵アルフレッド・ハームズワース[のーすくりふししゃくあるふれっどはーむずわーす]

初代ノースクリフ子爵、アルフレッド・チャールズ・ウィリアム・ハームズワース(Alfred Charles William Harmsworth, 1st Viscount Northcliffe、1865年7月15日 - 1922年8月14日)は、イギリスの実業家・ジャーナリスト。の前身となる巨大新聞グループを創設し、「新聞王」と言われた。
== 略歴 ==
アルフレッド・ハームズワースはアイルランドダブリン州:en:Chapelizodで弁護士の子として生まれた。彼の兄弟には弟でミラーグループの共同経営者であったハロルド(初代ロザミア子爵)、外務次官などをつとめたセシル(初代ハームズワース男爵)、(初代準男爵)、ヒルデブラント(初代準男爵)などがいる。
リンカンシャーのを出た後フリーランスのジャーナリストとして活動していたが、1894年に「」を買収し、再建に成功した。その後各地の新聞を買収して会社を拡大し、1896年5月にイギリス最初のタブロイド紙「デイリー・メール」を創刊した。彼の経営手腕は他社の優秀な記者や通信員を高額で引き抜き、「ニュースを得よ、真っ先に得よ」という督励を行って大衆に受けるジャーナリズムを追求した。さらにエディンバラグラスゴーといった遠隔地でもロンドンと同じ朝刊が見られるよう販売網を整備し、地方の読者も獲得した。また大西洋横断飛行に多額の賞金をかけたり、タイタニック号沈没事故遺族への寄付金募集といったキャンペーンも行った。1897年には弟ハロルドとの共同出資という形で、会社を株式会社「ハームズワース・ブラザーズ」に改組した。この会社は新聞社だけでなく、製紙工場、インク工場の経営も行っている。
第二次ボーア戦争の際にはラドヤード・キップリングらも参加した寡婦や戦争孤児のための大規模な慈善キャンペーンを行った。1903年には「デイリー・ミラー」を創刊し、「ザ・タイムズ」と「オブザーバー」を買収した。1904年にはエルムウッドの準男爵となり、1905年にはセントペーター(ケントサネット)のノースクリフ男爵に叙せられている。1918年にはアメリカにおいてイギリスの戦争広報をつとめた功績により、セントペーターのノースクリフ子爵となった。1921年には日本朝鮮中国を歴訪している。1922年に没したが子供はおらず、ノースクリフ子爵は一代限りとなった。新聞事業は弟ハロルドが継承した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ノースクリフ子爵アルフレッド・ハームズワース」の詳細全文を読む




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