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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ノースダコタ州()は、アメリカ合衆国中西部の最北部、グレートプレーンズ(大平原)にある州である。州の北側はカナダ国境であり、サスカチュワン州およびマニトバ州に接している。東側はミネソタ州との州境にレッド川が流れている。西側はモンタナ州に、南側はサウスダコタ州に接している〔Geography of North Dakota – netstate.com. Retrieved July 21, 2011.〕。人口は70万人に満たず、全米50州の中で少ない方から3番目であり、面積は第19位なので、人口密度も4番目に小さい。1889年11月2日に、それまでのダコタ準州が南北に分割され、サウスダコタ州とともに同時に州に昇格したが、ノースダコタ州が39番目、サウスダコタ州が40番目と認識されている。 州都はビスマーク市であり、人口最大の都市はファーゴ市である。公立大学の主要なものはグランドフォークスとファーゴに設立されている。アメリカ空軍がマイノットとグランドフォークスに基地を設営している。 ノースダコタの「ダコタ」という名前は、アメリカ・インディアンのダコタ族(「仲間」の意味)に由来する。 最近の10年以上、全国平均よりも低い失業率、雇用数と人口の増大、および低い住宅空き家率と、経済的な好調を持続してきた。これには州西部のバッケン・オイルシェール田の開発が大きく貢献しているが、技術やサービス産業の成長も寄与してきた。2011年6月に起こった洪水によってマイノット市が大きな被害を被り、州都ビスマーク市も脅かされた。 ==歴史== ノースダコタ州となった地域にヨーロッパ人が接触する以前の数千年間は、インディアンがこの地域に居住していた。この地域に入った最初のヨーロッパ人は、フランス系カナダ人の交易業者ラ・ヴェレンドリーであり、1738年にマンダン族の集落に探検隊を率いて来た。ノースダコタの部族は直接ヨーロッパ人と交易を行わないようにしていた。しかし、1804年にルイス・クラーク探検隊が入ってきた時までにかなりの接触が行われており、インディアンはフランスやスペインが自分たちの領土に対する領有を主張していることに気づいていた。 今日のノースダコタ州に入っている領域の大半は1803年のルイジアナ買収の領域に含まれていた。他の部分はでイギリスから確保していた。ルイジアナ買収に入っていた領域の多くはミネソタ準州とネブラスカ準州に繰り入れられた。1861年3月2日、現在の南北ダコタ州とワイオミング州およびモンタナ州の一部がダコタ準州として組織化された。ダコタ準州は19世紀後半までほとんど人の住まない領域だったが、このころに鉄道が通り、土地が活発に売買された。グロバー・クリーブランド大統領政権の1889年2月22日、ノースダコタ、サウスダコタ、モンタナおよびワシントンを包括的に州に昇格させる1889年新州構成法が連邦議会で成立した。大統領職は3月にクリーブランドからベンジャミン・ハリソンに引き継がれ、11月2日にハリソンがノースダコタ州とサウスダコタ州の州昇格声明に署名して正式なものとなった。2つの州には競争意識があり、どちらが先に合衆国に加盟したかが問題となった。ハリソン大統領は国務長官のジェイムズ・G・ブレインに、署名すべき2つの書類の順番を入れ替えて、どちらに最初に署名したか分からないように指示し、またその順序も記録しないようにしたので、誰もどちらが先に合衆国に加盟したか分かっていない。しかし、ノースダコタ州がアルファベット順ではサウスダコタ州の前に来るので、ノースダコタ州昇格の声明書が法令集では先に出版された。この日以来、アルファベット順に並べるのが慣例となり、ノースダコタ州は39番目の加盟州となっている。 第一次世界大戦後、小麦農家の特にノルウェー出身者の間に騒動がおこって急進的な政治運動となり、左翼の無党派同盟の下に集まることになった。最終的には民主党に含まれることになった無党派同盟は、州外の銀行や会社の権力からノースダコタ州を守ろうとした。州立のノースダコタ銀行やノースダコタ・ミル・アンド・エレベーターの設立(両社とも現在に至っている)に加えて、州が所有する鉄道線を建設した(後にスー・ライン鉄道に売却された)。反法人法が成立し、農地として指定された土地の権利を法人や銀行が所有することを事実上禁じた。これらの法律は現在でも有効であり、州裁判所と連邦裁判所に支持された後は、農地の差し押さえがほとんど不可能となり、差し押さえられた後となっても、その財産権を銀行や担保所有会社が保有することができなくなっている。 1950年代に連邦政府による建設プロジェクトが州内でも始まり、ガリソンダムやアメリカ空軍のマイノットとグランドフォークスの基地が建設された。1980年代には州西部で石油探査ブームが起こり、おりからの原油価格高騰で利益が出るようになった。1930年12月28日に初代の州会議事堂が火事で消失し、石灰岩貼りのアールデコ調高層建築の議事堂が再建され、今日に続いている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ノースダコタ州」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 North Dakota 」があります。 スポンサード リンク
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