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ノーフォーク州 : ミニ英和和英辞書
ノーフォーク州[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ノーフォーク州 ( リダイレクト:ノーフォーク ) : ウィキペディア日本語版
ノーフォーク[す, しゅう]

ノーフォーク (Norfolk) はイングランドイースト・オブ・イングランドにある低地カウンティである。西側でリンカンシャー、西および南西でケンブリッジシャー、南側でサフォークに接している。北側および東側は北海に面しており、イギリス最大の入江であるザ・ウォッシュ (The Wash) もある。カウンティカウンシルはのノリッチである。ノーフォークの面積は 5,371 平方キロメートル (2,074 平方マイル) で、イングランドの典礼カウンティでは 5 番目である。
ノーフォークはイングランドに 34 ある非都市カウンティの中で 7 番めの人口 816,500 人を擁するが、殆どが郊外であるため人口密度は平方キロメートルあたり 152 人に過ぎず、人口密度では 25 番めである〔Office for National Statisticsの 2004 年人口推定に基づく。List of non-metropolitan counties of England by populationを参照〕。この事実は農業と観光を中心とするノーフォークの経済に象徴されている。ノーフォークにも一部が含まれるザ・ブローズ (The Broads) を国立公園に指定する最近の法案は成立しなかったが、それは自然保護が航行に優先するということになるからである。ノリッチ中心部といった歴史的な場所も観光資源として貢献している。
自然植物保護団体プラントライフ (Plantlife) によるコンテストで、ノーフォークのとしてヒナゲシが投票により選ばれた〔Norfolk county flowers www.plantlife.org.uk〕が、これは投票で一位だったAlexandersが代表的ではないという抗議によるものである
== 歴史 ==

ノーフォークにはローマ時代以前に定住がみられフリントの出土する西部高地の新石器時代の遺跡(グリムズ・グレイヴス)が発見されている〔John Barwell, n.d. "ノーフォーク史 "〕。ブリトン人の一部族イケニ族紀元前1世紀から紀元後1世紀までノーフォークに居住していた。イケニ族はローマによる侵攻の侵攻に対し、47年と、ブーディカが率いた60年の二度にわたり反乱を起こした。二回目の反乱は失敗に終わり、ノーフォークはローマ人が支配した。ローマ時代に道路と港が整備され、各地で農耕が始まった。
東海岸に位置するがゆえに、ノーフォークはスカンディナヴィアならびに北ヨーロッパからの侵入の脅威にさらされており、アングル人サクソン人に対する防御として砦が作られた。イースト・アングリアおよびイングランドという名の元になったアングル人5世紀までにはこの地域の支配を確立し、後に「north folk」 (北村) と「south folk」 (南村)、すなわち 「Norfolk」(ノーフォーク) と「Suffolk」 (サフォーク) となった。ノーフォークは周囲の地域とともにイーストアングリアの王国となり、後にはマーシアとあわせウェセックスとなった。初期英語の影響は地名末尾の「thorpe」「ton」「ham」といった綴に見られる。9世紀にはヴァイキングからの攻撃を受け、エドマンド殉教王が殺害された。ノルマン・コンクエスト以前の数世紀にわたり東部の湿地は農地に転換され、人口の増加が見られたドゥームズデイ・ブックの調査ではこの地域はブリテン島でも人口密度の高い地域の一つであり、ノルマン・コンクエストまでにはイーストアングリアへの移住が多数行われていたはずである。
中世盛期から終期を通じ、ノーフォークでは農耕と毛織物産業が発達した。1349 年に劇的な人口減少をもたらした黒死病までの期間、経済は減退傾向にあり、以降現在まで人口にあまり変化がないことを述べれば十分であろう16世紀までにノリッチはイングランド第二の都市にまで成長したが、1665年のペストの流行により人口の三分の一が死亡した〔匿名 2002. ノーフォーク史 〕。イングランド内戦の間、ノーフォークは議会派が主であった。地域経済と農業は減退気味であり、産業革命期にノーフォークでの工業は発達せず、 鉄道敷設も遅かった。
20世紀に入ると、ノーフォークの航空界での役割が増した。まず第一次世界大戦の際に飛行場が発達し、第二次世界大戦中のイギリス空軍 (RAF) の発展と多くのノーフォークの飛行場を基地としたアメリカ第8空軍の合流により大規模展開が見られた。第二次世界大戦中、農業は急速に強化され、以降も穀類ならびにナタネの大規模農場の確立とともに盛んである。ノーフォークは、低地と、多くが石灰と粘土であって侵蝕されやすい崖のため海の影響を受けやすい。最近の大きな被害としては1953年の北海水害がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Norfolk 」があります。




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