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ノーブルグラスは日本の競走馬。おもな勝鞍は1995・1996年の札幌スプリントステークス。管理調教師・上原博之の初勝利および重賞初勝利馬であり、また騎手の安田富男が史上初の中央競馬全競馬場重賞制覇を達成(1996年)した馬としても知られる。 == 経歴 == すでに4歳となっていた1994年2月、育成牧場において新規開業調教師の上原博之に見出され、茨城県美浦トレーニングセンターに入厩。同年6月の札幌開催でデビューした。初戦を3着としたのち、2戦目で初勝利を挙げた。これは上原にとっても開業後の初勝利となった。当年はダート競走を中心に出走を続け、3勝を挙げて準オープンクラスとなった。 翌1995年から芝のレースに出走を始め、夏に降級後、900万下特別を3馬身差で快勝。上原に初の特別戦勝利をもたらした。次走は格上挑戦で重賞の札幌スプリントステークスに出走、主戦騎手を務めていた的場均がリバーセキトバに騎乗するため、鞍上には小島太を迎えた。これまでの全戦で5着以内を確保するなど安定していたが、格上挑戦と実績の無さから当日は9番人気であった。しかし道中中団から最終コーナーで先行勢に取り付き、最後はニホンピロスタディを差し切って勝利。自身と上原にとって初めての重賞制覇を果たした。また、これは当時すでに翌年2月で引退となる小島にとっても、故郷・北海道で挙げた最後の重賞勝利となった。 以後小島を鞍上に、続くマリーンカップを3着、秋に入っての府中牝馬ステークス・スワンステークスをそれぞれ3着、2着と好走した。しかしGI初出走となったマイルチャンピオンシップで最下位と大敗し、その後休養に入った。 翌1996年3月、復帰戦のアメジストステークスに勝利し、2戦を経て前年勝利した札幌スプリントステークスに出走。当初鞍上が未定であったが、JRA全10場での重賞制覇まで札幌を残すのみとなっていたベテラン・安田富男が本馬への騎乗を希望し、初コンビでの臨戦となった。当日は3番人気に支持されると、レースは前年と同様に中団待機策から直線で抜け出し、オギティファニーに3馬身差を付けて連覇を達成した。安田はデビュー29年目、全場制覇まであと一つとなってから9年目での達成となり、競走後にはファンからも「富男」コールで祝福を受けた。安田はインタビューで、グリーングラスに騎乗してクラシック初勝利を挙げた1976年菊花賞よりも嬉しい勝利だったと語っている。 しかし以後ノーブルグラスは勝利に恵まれず、1997年11月に現役を引退、故郷・村下牧場で繁殖牝馬となった。2000年からはアメリカに送られ、同地の種牡馬と交配されて産駒は日本で走るという形態が取られているが、今のところ目立つ産駒は現れていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ノーブルグラス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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