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ノーマン・デロ・ジョイオ : ミニ英和和英辞書
ノーマン・デロ・ジョイオ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ノーマン・デロ・ジョイオ ( リダイレクト:ノーマン・デロ=ジョイオ ) : ウィキペディア日本語版
ノーマン・デロ=ジョイオ[ちょうおん]

ノーマン・デロ=ジョイオ(Norman Dello Joio, 1913年1月24日 - 2008年7月24日)は、アメリカ合衆国作曲家
ニューヨーク生まれ。父親はピアノ奏者、オルガン奏者で、声楽のトレーナーとしてメトロポリタン歌劇場の歌手たちを指導した。彼は4歳から父親にピアノを学び、10代で名付け親のパトリック大聖堂のオルガン奏者のピエトロ・ヨンからオルガンを学んだ。14歳でシティーアイランドの海の星教会のオルガン奏者兼合唱指揮者となった。1939年にはジュリアード音楽院の奨学金を得、ベルナルト・ワーヘナールのもとで作曲を学んだ。
彼は学生の間、聖アン教会のオルガン奏者として働いたが、すぐにオルガン奏者として生計を立てることに見切りをつけた。1941年からパウル・ヒンデミットに師事し、当時ポピュラーだった無調の要素のために感傷的な部分を犠牲にすることのないように激励された。
1940年代の終わりまでに、彼はアメリカの重要な作曲家の1人とみられるようになり、多くの賞を受け取った。様々なジャンルの作品を書いたが、合唱作品が最もよく知られている。また吹奏楽の分野ではミシガン州立大学ウィンド・アンサンブルのために書かれた「ハイドンの主題による幻想曲」が知られ、世界中で何千回も演奏されている。他に「ルーブルからの情景」がある。また高校やプロの弦楽合奏団に「振り付け」や「弦楽合奏のための3つの踊り」などいくつかの曲を作っている。
1956年4月20日ジュリアード音楽院で初演された「知恵の書による瞑想」で1957年ピューリッツァー賞を受賞した。
1944年から1950年までサラ・ローレンス大学マネス音楽学校で教鞭をとった。さらにボストン大学で教授と学部長を務めた。1978年に退任しロングアイランドに移住し、作曲を続けていた。
== 外部リンク ==

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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ノーマン・デロ=ジョイオ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Norman Dello Joio 」があります。




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