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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ハイホーク (''High Hawk'') はアイルランド生産、イギリス調教の競走馬。ローマ賞(イタリアG1)など3か国で重賞を4勝。繁殖牝馬としてブリーダーズカップ・ターフなどG1競走を3勝したインザウイングスなどを輩出した。 「シェイク・モハメド(モハメド殿下)」の通称で知られる大馬主ムハンマド・ビン=ラーシド・アール=マクトゥーム(現ドバイ首長)の初期の所有馬であり、第3回ジャパンカップにも出走している。 == 経歴 == *''馬齢は日本の旧表記で記述する。'' 非常に小柄かつ細身な馬〔ジャパンカップ出走時の馬体重は410kg(サラブレッドの平均馬体重は470kg前後)と、出走馬中最軽量だった。 〕で、近親に目立った活躍馬もいなかったことから、2歳時に出品されたイヤリングセールにおいて、3万1000ギニー(約1100万円)の安値でシェイク・モハメドに落札された。競走馬としてデビューした当初も凡庸な馬で、3歳時の2戦はいずれも着外、初勝利を挙げたのは4歳になってからだった。そこから2連勝したものの続く準重賞の二戦を勝つことができず、レベルの高い地元イギリスのクラシック競走は避け、イタリアのオークスに向かった。するとここで優勝馬から僅差の2着と健闘した後、地元に戻りG2リブルスデールステークスで重賞を初制覇。次走アイリッシュオークスでは地元アイルランドのギブサンクスに敗れたが2着となった。 秋になると、パークヒルステークス(英G2)、ロワイヤリュー賞(仏G3)、ローマ賞と、三カ国のいずれも距離12ハロン以上の長距離重賞を3連勝。この後は日本中央競馬会からの招待を受け、引退レースとして当時新興の国際競走だったジャパンカップに出走した。迎える日本馬には、この年の春秋の天皇賞優勝馬アンバーシャダイとキョウエイプロミス、宝塚記念優勝馬ハギノカムイオーなどが顔を揃えていたが、前2回のジャパンカップではいずれも日本馬は大敗しており、他の招待馬と照らし合わせてもその実績が抜けていたことから、ハイホークは4歳の牝馬ながら1番人気に支持された。しかしレースでは直線の手前から早々に失速し、16頭立ての13着と惨敗を喫した。この時、ある競馬関係者が「残念な結果でしたね」と馬主席のシェイク・モハメドに声を掛けると、モハメドは「こういう事があるのも競馬です。またジャパンカップに馬を連れてきますよ」と言って笑ったという〔『優駿』1997年11月号 p28-29〕。 これをもって競走馬を引退し繁殖牝馬となったハイホークは、英仏米のG1競走に優勝したインザウイングスをはじめ、グレフュール賞(仏G2)の優勝馬で、種牡馬として一時日本でも繋養されたハンティングホーク、ショードネイ賞(仏G2)などフランスで重賞3勝のモロゾフ、ダービートライアルステークス(英G3)の優勝馬ホーカーズニュース等の活躍馬を送り出し、母として大きな成功を収めた。中でもインザウイングスは種牡馬としても優秀な成績を収め、その代表産駒シングスピールは第16回ジャパンカップに出走し、ファビラスラフインを競り落として優勝。祖母の敗戦から13年越しでジャパンカップを制覇し、馬主のシェイク・モハメドも雪辱を果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハイホーク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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