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ハインリッヒ・ハラー : ミニ英和和英辞書
ハインリッヒ・ハラー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ハインリッヒ・ハラー ( リダイレクト:ハインリヒ・ハラー ) : ウィキペディア日本語版
ハインリヒ・ハラー[ちょうおん]

ハインリヒ・ハラーHeinrich Harrer, 1912年7月6日 - 2006年1月7日)は、オーストリア登山家写真家。幼少のダライ・ラマ14世と交流を持つ数少ない人物であった。
== 経歴 ==
1912年7月6日、オーストリア・ハンガリー帝国ケルンテンにて生を受けた。東隣のシュタイアーマルク州にあるグラーツ大学にて地理学を専攻し、1938年フリッツ・カスパレクおよびドイツ人隊のメンバーと共にアイガー北壁の初登頂に成功。この功績によりドイツナンガ・パルバット遠征隊(隊長ペーター・アウフシュナイター :de:Peter Aufschnaiter)への参加が認められヒマラヤへと赴く事となった。
1939年、ナンガ・パルバットの新しい登頂ルートを見つけた遠征隊は、イギリス領インド帝国(現在のパキスタン)のカラチヨーロッパへの帰還のために船を待っていた。しかし第二次世界大戦の勃発で、敵対国の国民として拘禁される事となりムンバイ抑留所で抑留された。その後、ヒマラヤに近いデラドゥンに移されたハラーは、そこで脱走に成功しネラン、ツァンチョクラ峠を越え、チベットへ逃れる。
映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』でハラーのチベットでの滞在が描かれている。ナチ党員(党員番号:6307081)、ナチス親衛隊員(所属:38部隊、隊員番号:73896、最終階級:曹長)でもあり、ドイツによるオーストリア併合も支持、アドルフ・ヒトラー個人にも好意的な内容の手紙を送っていたが、戦後は不問にされている。ただし、以上の経歴がサイモン・ヴィーゼンタールによって暴露され、上記映画上映の際には、ユダヤ系団体から映画の内容に対する批判、上映ボイコット騒動があった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハインリヒ・ハラー」の詳細全文を読む




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