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ハインリヒ7世・ロイス・ツー・ケストリッツ : ミニ英和和英辞書
ハインリヒ7世・ロイス・ツー・ケストリッツ[はいんりひ7せいろいすつーけすとりっつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ハインリヒ7世・ロイス・ツー・ケストリッツ : ウィキペディア日本語版
ハインリヒ7世・ロイス・ツー・ケストリッツ[はいんりひ7せいろいすつーけすとりっつ]

ハインリヒ7世・ロイス・ツー・ケストリッツHeinrich VII. Prinz Reuß zu Köstritz, 1825年7月14日 - 1906年5月2日 )は、ドイツ東部の小諸侯ロイス家の侯子で、プロイセン王国ドイツ帝国の外交官。
ロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ63世の第5子、三男として生まれた。1845年から1848年までハイデルベルクベルリンの大学で法学を学んだ。その後、プロイセン陸軍第8槍騎兵連隊に所属。1853年より外交官の道に入った。1854年から1863年までパリのプロイセン公使館職員として勤め、次いでカッセル駐在のプロイセン公使に昇任、さらにミュンヘン駐在公使に転じた。1868年2月5日、プロイセン王ヴィルヘルム1世により北ドイツ連邦の臨時の全権使節としてロシアに派遣された。1871年4月26日、ドイツ皇帝となったヴィルヘルム1世により初代のサンクトペテルブルク駐在ドイツ帝国大使に任命された。
1873年から1876年まで、皇帝ヴィルヘルム1世の高級副官(Generaladjutant)を務めた。1876年2月6日、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・アレクサンダーの娘マリーと結婚する。マリーはヴィルヘルム1世の妻アウグスタ皇后の姪であった。同じく1876年、プロイセン貴族院議員席を与えられる。1877年、初代イスタンブル駐在ドイツ帝国大使に就任し、同市にを開設した。この際、イスタンブルの総領事館を自分の好みにデザインすることを許された。翌1878年にはウィーン駐在大使に転じ、1894年まで務めた。その後はに引退して余生を送った。
== 子女 ==
妻マリーとの間に5人の子女をもうけた。
*ハインリヒ32世(1878年 - 1935年)
*ハインリヒ33世(1879年 - 1942年)
*ヨハンナ(1882年 - 1883年)
*ゾフィー(1884年 - 1968年) - 1909年、ロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ34世と結婚
*ハインリヒ35世(1887年 - 1936年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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