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ハインリッヒ・ヴェルナー(Heinrich Werner、1800年10月2日 - 1833年3月3日)は、ドイツの作曲家。ライネフェルデ=ヴォアビスに生まれ、ブラウンシュヴァイクに没した。日本語では、名はハインリヒとも、姓はウェルナーとも表記される。 ヴェルナーの最も優れた、また、最も広く知られた作品は、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの詩「野ばら (Heidenröslein)」に付けた、民謡風の旋律である。 == 生涯 == ヴェルナーの父は音楽教師で、声楽家でもあったため、一家と音楽との結びつきは特に強く、息子たち3人はいずれも長じて音楽家となった。ヘインリッヒは15歳まで自宅で音楽を学び、11歳のときには地元の村の教会でオルガンを演奏した。15歳のとき、サンクト・アンドレアスベルク (Sankt Andreasberg) の少年合唱団の一員となったが、この合唱団には兄フリッツ (Fritz) と弟ヴィルヘルム (Wilhelm) も加わっていた。やがて、兄がブラウンシュヴァイクで音楽教師になると、ハインリッヒはギムナジウムを退学して、兄の許へ赴き、音楽の指導を受けるようになった。 1821年、ヴェルナーはエアフルトに学び、1822年には教師資格を得た。同年末にはブラウンシュヴァイクへ戻り、ハーゲンマルクト歌劇場 (Opernhaus am Hagenmarkt) の合唱指導者となり、音楽教師としても働くようになった。 ハインリッヒ・ヴェルナーは、84曲の作品を作曲したが、その大部分は歌曲(リート)であった。彼の最も有名な作品は、「童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)... (Sah ein Knab' ein Röslein stehn ...)」(日本語訳は近藤朔風による)と歌われる、ゲーテの「野ばら」であった。 1829年1月20日、この曲は、ヴェルナーが指揮者を務めていたブラウンシュヴァイク合唱団のコンサートで初演された。ヴェルナーが作曲したこの作品は、たちまち人気が出て、今日でも歌われることが多い百曲ほどの民謡(フォルクスリート、Volkslied)のひとつとなった。 1830年、ヴェルナーは、ホルツミンデン、ハノーファー、そして故郷への旅に赴き、1831年にはベルリンへ、さらに1832年には故郷への最後の旅路についた。 1832年秋、ヴェルナーは結核を患い、1833年3月3日にブラウンシュヴァイクで32歳の若さで死去し、同地に埋葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハインリッヒ・ヴェルナー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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