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ハインリヒ・ウンガー : ミニ英和和英辞書
ハインリヒ・ウンガー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ハインリヒ・ウンガー ( リダイレクト:ハインツ・ウンガー ) : ウィキペディア日本語版
ハインツ・ウンガー[ちょうおん]
ハインツ・ウンガーHeinz Unger, 1895年12月14日 - 1965年2月25日)は、ドイツ出身のカナダ指揮者。本名はハインリヒ・ウンガー(Heinrich Unger)。〔
ベルリン生まれ。法学者になるべく勉学に励んでいたが、1915年にミュンヘンブルーノ・ワルターの演奏するグスタフ・マーラーの《大地の歌》を聴き、マーラーの擁護者となった。
その後、1917年にプロイセンの音楽師範学校でヴィルヘルム・クラッテ、テオドール・シェーンベルガー、エドゥアルド・メーリケらに師事し、フリッツ・シュティードリーからも教えを受けた。
卒業後、アマチュアのオーケストラを振ってベートーヴェン交響曲第5番《運命》を振ってデビューを飾り、1920年から翌年にかけてのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のマーラー・コンサートで、マーラーの交響曲第1番や《大地の歌》を振ってプロ・デビューし、1923年から1931年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の主宰する楽友協会コンサートを指揮した。この間に、ドイツ各地にとどまらず、ウィーンオスロ、旧ソ連の各都市を回り、各都市のオーケストラへの客演を重ねている。
1933年にはロンドンに移住し、ノーザン・フィルハーモニーの指揮者を1947年まで務め、その間にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を含むイギリスの主要オーケストラに度々客演した。
1937年にカナダのトロント交響楽団に客演したことが機になってカナダとのコネクションが生まれ、1948年にはカナダに移住することとなった。
カナダへの移住後、暫くトロントで開かれるプロムナード・コンサートの指揮者を務め、アマチュアのオーケストラ団体を創設して演奏活動を展開した。1952年からCBC交響楽団に度々客演し、1953にはヨークにコンサート協会を設立した。これらの活動を通して、カナダにアントン・ブルックナーリヒャルト・シュトラウス、マーラーやアルノルト・シェーンベルクらの音楽を積極的に紹介した。
1963年ごろから病気がちになり、1965年に心臓発作を起こしてトロントのウィローデールで亡くなった。
== 脚注 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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