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ハインリヒ・ヴァウラ・フォン・フェルンゼー : ミニ英和和英辞書
ハインリヒ・ヴァウラ・フォン・フェルンゼー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ハインリヒ・ヴァウラ・フォン・フェルンゼー : ウィキペディア日本語版
ハインリヒ・ヴァウラ・フォン・フェルンゼー[ちょうおん]

ハインリヒ・ヴァウラ・フォン・フェルンゼー(Heinrich Wawra Ritter von Fernsee、チェコ名:ヴァーヴラ、Jindřich Blažej Vávra、1831年2月2日 - 188年5月1日)は、チェコ生まれのオーストリア=ハンガリー帝国海軍の船医植物学者、探検家である。多くの航海で各地の植物を採集した。
==略歴==
ブルノに粉屋の5人兄弟の末子に生まれた。1849年から1855年の間、ウィーン大学で医学と植物学を学んだ後、1855年12月にオーストリア=ハンガリー帝国海軍に入隊し船医を務めた。この時代の艦隊司令官はフェルディナント・マクシミリアン大公であった。1878年に、収集した膨大な標本を整理するために海軍を除隊した。ヴァウラの参加した航海には以下のようなものがある。
*1856年、スクーナー、Saida号で西地中海へ航海。
*1857年-1858年、コルベット艦Carolin号の船医として、フリゲート艦、SMS Novaraとともにジブラルタルマデイラオーストラリアのテネリフ、ブラジル喜望峰ベンゲラルアンダアセンション島カーボベルデジャワ島シンガポールタイベトナム中国日本ハワイ南米を周航。
*1859年–1860年、駆逐艦、Elisabethの船医としてマクシミリアン大公のブラジル訪問に同行。
*1860年-1861年、フリゲート艦、Adria号の船医として エリーザベト皇后ギリシャケルキラでの静養に随行。
*1864年-1865年、 メキシコ皇帝マクシミリアンの移動のためのフリゲート艦 SMS Novaraの船医として同行。
*1868年-1871年 フリゲート艦 Donauの船医として、東アジアに外交、通商目的のコルベット艦 Friedrichとともに、リヴァプールニューヨークサンフランシスコホノルルニュージーランド、オーストラリア、セイロンサイゴン、中国、日本、香港マカオ、シンガポール、ジャワ島を訪問。
*1872年-1873年、海軍を休職してザクセン=コーブルク=ゴータ家の皇族の世界周航に同道。
*1875年-1877年、フリゲート艦 Radetzky でレバント海を周航
*1879 2度目の世界周航。
パイナップル科 のフェルンセエア属()に献名されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハインリヒ・ヴァウラ・フォン・フェルンゼー」の詳細全文を読む




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