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ハギノハイグレイドは日本の競走馬。おもな勝ち鞍に東海ステークス・アンタレスステークスなど中央競馬のダート重賞3勝。馬名の由来は冠名「ハギノ」に英語の「HIGH」と「GRADE」を組み合わせたもの。全弟にダートオープン特別2勝のホーマンベルウィンがいる。 == 経歴 == 1999年2月、中京競馬場・芝1800mの新馬戦に出走して白星でデビュー戦を飾った。当初は芝のレースを中心に使われたものの全て着外と良績を残せず、7戦目となる9月の500万下条件戦からはダート路線に転身し、翌2000年1月までの約3ヶ月の間にダートの1800m戦ばかり7戦をこなして2勝を挙げたが、オープン入りには至らず一旦は休養を取ることになった。 2000年6月、一息入れて臨んだ駒場特別に勝利すると、連闘で臨んだ大沼ステークスにも勝利、翌2001年1月には重賞競走である平安ステークスに格上挑戦して2着と好走し、続く交流重賞の佐賀記念でも2着、さらに次走の仁川ステークスでオープン競走初勝利を挙げると、5月には東海ステークスを日本レコードタイムで制して重賞馬となった。 以降はダート重賞戦線の常連として1800m以上の距離で活躍し、2001年にはアンタレスステークスで重賞2勝目を挙げ、続く東海ステークスでは前年に自身が記録した日本レコードタイムを塗り替える世界レコードタイムで史上2頭目となる東海ステークス連覇を達成した。GI競走においては勝ち星こそ無いものの、川崎記念2着・ジャパンカップダート3着・JBCクラシック3着など、中央・地方を問わずに堅実な成績を残した。 しかし、2003年12月に裂蹄、2004年10月に復帰をするも右前第2副管骨骨折を発症してこの年の出走は1戦のみとなり、それ以降は成績が急落。2005年3月のマーチステークスでダート戦では初めてとなる二桁着順を経験すると、続くアンタレスステークスでも15着と大敗、さらに7月には6年ぶりの芝レースとなるはずであった函館記念を前に左肩跛行を発症して出走を取消し、そのまま同年8月に現役引退となった。引退後は優駿スタリオンステーションにて種牡馬として繋養されていたが、種付けは最多でも4頭と牝馬を集められず、特筆すべき産駒は出ていない。2013年8月1日付で種牡馬を引退。ノーザンホースパークで余生を送っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハギノハイグレイド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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