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ハククラマ : ミニ英和和英辞書
ハククラマ[らま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラマ : [らま]
 【名詞】 1. (1) (Dalai) Lama 2. (2) llama 3. (P), (n) (1) (Dalai) Lama/(2) llama

ハククラマ : ウィキペディア日本語版
ハククラマ[らま]

ハククラマ1956年4月3日 - 没年不詳)は、日本競走馬種牡馬である。1959年に菊花賞で優勝し、同年度の啓衆社賞最良スプリンターに選出された。
馬齢は旧表記とする。
== 経歴 ==
1956年4月3日千葉県新堀牧場にて生誕。ハクチカラを所有した西博の所有馬となり、東京競馬場尾形藤吉厩舎に入厩する。
1958年11月16日、東京競馬場での新馬戦(芝 1,000メートル)で初出走、尾形厩舎の主戦である保田隆芳が騎乗して1着となりデビュー戦白星を挙げる。明け4歳となったデビュー3戦目(1959年3月1日、東京競馬場)ではのちに東京優駿を制するコマツヒカリと対戦し、0秒1差の2着となる。その後、4月12日の四歳中距離特別(中山競馬場 芝1,800メートル)でコマツヒカリとふたたび対戦し、1着となる。その次の四歳オープンも勝ち、5月5日には東京優駿トライアルのNHK盃(東京競馬場 芝2,000メートル)に出走する。主戦の保田が尾形厩舎のハローモアに騎乗したため、八木沢勝美に乗り替わったが見せ場なく9着に敗れ、本番となった5月24日の第26回東京優駿は不良馬場に合わず、コマツヒカリの7着と敗れた。
東京優駿のあと、夏場を休養に充てたハククラマは、秋の緒戦として9月6日京王盃オータムハンデキャップに出走、50キログラム斤量を生かして重賞初制覇を果たす。その後9月27日に中山の特殊ハンデキャップ競走で2着となると、翌週の10月4日連闘セントライト記念(中山、芝2,400メートル)に出走、単勝1番人気に応えて2分31秒1と当時のレコードタイムで1着となり、重賞2勝目を挙げた。
11月15日に迎えた第20回菊花賞京都競馬場 芝3,000メートル)では1番人気に支持され、スタートから先頭に立つと快調に走り、2着のハローモアに3馬身差をつけて3分7秒7のレコードタイム(当時)で逃げ切り、クラシック最後の一冠を制覇した。その年の第4回有馬記念ではファン投票で11,438票を獲得して1位で選出されて出走したが、ガーネツトの12着と敗れた。この有馬記念12着は、2014年現在でもファン投票1位出走馬の最低着順(ただし、競走中止をのぞく)である。
1960年、明け5歳となるとオープン競走を2度走っていずれも2着、5月8日東京盃(東京 芝2,400メートル)は8着、6月5日安田記念(東京 芝1,800メートル〔この当時の安田記念はGI級レースでなく、かつ距離もマイル戦ではなかった。〕)は6着と敗れた。安田記念の翌週の6月11日のオープン競走に出走し、1着となった。6月26日日本経済賞オーテモン(1960年秋の天皇賞馬)の2着と敗れたのが現役最後のレースとなった。
引退後のハククラマは種牡馬となったが、これといった産駒は出していない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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