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張鼓峰事件(ちょうこほうじけん)は1938年(昭和13年、康徳5年)の7月29日から8月11日にかけて、満州国東南端の張鼓峰で発生したソ連との国境紛争。実質的には日本軍とソ連軍の戦闘であった。ソ連側は、これをハサン湖事件(ハサーン湖事件)と呼んだ。 == 背景 == 20世紀前半の大部分の期間、ソビエト連邦(ロシア)と、満州国および日本の間には、現在の中国東北部で接する国境を巡って高い緊張状態があった。中国東北部(満州)には、満州と極東ロシアを結ぶ東清鉄道という鉄道があり、そこから南に伸びる支線が南満州鉄道である。この南満州鉄道は、日露戦争、そしてそれに続く日中戦争へとつながっていく幾つかの事件、そして日ソ国境紛争の原因の一つであり、またその舞台にもなった鉄道である。1929年の中ソ紛争、1931年の日中間の満州事変などがあった。張鼓峰事件は、このような歴史的経緯から互いに不信感を抱く日本とソ連という二つの強国が戦った戦闘である。 張鼓峰は満州国領が日本国朝鮮とソ連領の間に食い込んだ部分にある標高150メートルの丘陵であり、西方には豆満江が南流している。 当時、この付近の国境線について、ソ連側と満州国・日本側の間に認識の相違があった。ソ連側はロシア帝国と清の間で結ばれた北京条約(およびその後の補助的な国境に関する合意)に基づき、国境線は張鼓峰頂上を通過していると考えていた。一方、日本側は張鼓峰頂上一帯は満洲領であるとの見解を持っており、ソ連側は国境線を曲解しており、国境線の標識は改竄されたものだと考えていた。いずれにしても、この方面の防衛を担当していた朝鮮軍第19師団は国境不確定地帯として張鼓峰頂上に兵力を配置していなかった。 国境の曖昧だった地帯は、長年スパイ戦に使われていた〔大陸縦断 山本実彦 1938年〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張鼓峰事件」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Lake Khasan 」があります。 スポンサード リンク
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