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ハッテラス入り江砲台の戦い : ミニ英和和英辞書
ハッテラス入り江砲台の戦い[はってらすいりえほうだいのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

テラ : [てら]
 【名詞】 1. tera- 2. 10^12, (n) tera-/10^12
: [にゅう]
 【名詞】 1. go in 
入り : [いり]
  1. (n,n-suf) entering 2. setting (of the sun) 3. audience 4. capacity 5. income 6. beginning 
入り江 : [いりえ, うら]
 【名詞】 1. inlet 2. cove 3. creek 4. bay
: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 
: [ほう]
  1. (n,n-suf) gun 2. cannon 
砲台 : [ほうだい]
 【名詞】 1. (gun) battery 2. fort
: [だい]
  1. (n,n-suf) (1) stand 2. rack 3. table 4. (2) support 5. (3) belt 6. (4) counter for machines, incl. vehicles 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ハッテラス入り江砲台の戦い : ウィキペディア日本語版
ハッテラス入り江砲台の戦い[はってらすいりえほうだいのたたかい]

ハッテラス入り江砲台の戦い(ハッテラスいりえほうだいのたたかい、英:Battle of Hatteras Inlet Batteries、またはハッテラス砦とクラーク砦の戦い、英:Battle of Forts Hatteras and Clark)は、南北戦争初期の小さいが重要な戦闘である。ノースカロライナ州アウターバンクスにある南軍の砦2つが、1861年8月28日に始まった北軍水陸協働攻撃に屈した。南軍砦の装備が悪く人員も整わなかった部隊は、北軍の7隻の艦船から砲撃に耐えることを強いられ、しかもそれに反撃できなかった。被害は軽かったが、守備隊はこの一方的な戦いを続けない途を選び、戦いの2日目に降伏した。この戦闘の直接の結果として、南軍による北部の海洋交易に対する妨害が著しく減じられ、北軍による南部港湾の封鎖範囲が拡がった。さらに重要なことは、北軍政府がノースカロライナのサウンドに入る途を得たことだった。ノースカロライナ州の幾つかの都市(中でもニューバーン、ワシントン、エリザベスシティおよびイーデントン)は直接脅威を受けるようになった。さらに、サウンドは南軍の守るバージニア州の海岸部、特にノーフォークの裏玄関だった。
この戦闘は幾つかの理由で重要である。これは南北戦争の北軍では初めての意義有る勝利だった。1861年7月21日に行われた第一次ブルランの戦い(別名第一次マナサスの戦い)での敗北の後、開戦当初に重たい雰囲気にあった北軍支持者を勇気づけた。これは海軍による封鎖戦略の最初の適用例だった。アメリカ陸軍アメリカ海軍の部隊を巻き込む最初の水陸協働作戦であり、最初の統合作戦だった。最後に砲撃艦隊による新しい戦術が採用された。艦隊は動き続けることで、艦船の大砲に対する陸の大砲の伝統的な優位をほとんど排除した。
== 南軍が守るハッテラス入江 ==
ノースカロライナ州のサウンドはポイント・ルックアウトからバージニア州との州境まで海岸の大半を占めている。その東の境界はアウターバンクスであり、北部の海洋交易を襲撃するにはほぼ理想的な位置にあった。南軍の東端にあたるハッテラス岬は、この緯度では約3ノット (1.5 m/s) の速度で流れるメキシコ湾流が見える位置にある〔Maury, ''The physical geography of the sea'', p. 27.〕。カリブ海で交易する船舶は、ニューヨークフィラデルフィアあるいはボストンに帰るときに、この北へ向かう流れに乗って所要時間を短縮できる。襲撃者は私掠船であっても州が所有する船であっても、アウターバンクスの中におれば気象や北軍の封鎖戦隊から守られ、防御力のない犠牲者が現れるのを待てば良かった。ハッテラス灯台に駐在した見張り番からの合図で襲撃者は飛び出して捕獲に向かい、多くはその日のうちに帰還することができた〔Trotter, ''Ironclads and Columbiads'', pp. 21–24.〕。
北軍の反撃から襲撃者を守るために、ノースカロライナ州はアメリカ合衆国から脱退した直後に、サウンドからの出入りが可能な水路に面した入江に砦を建設した。1861年、外洋航海が可能な船舶が航行可能な水深のある入江は4箇所、ボーフォート〔Pronounced BOW-fort in North Carolina; the name of the town in South Carolina is pronounced BYOO-fort.〕、オクラコーク、ハッテラスおよびオレゴンの各入江だった。その中でもハッテラス入江は重要であり、ハッテラス砦とクラーク砦という2つの砦が配された〔Henry T. Clark was Governor of North Carolina; see Trotter, ''Ironclads and Columbiads,'' p. 16.〕。ハッテラス砦は入江に近接し、ハッテラス島のサウンド側にあった。クラーク砦は約半マイル (800 m) 南東で、大西洋に近かった。これらの砦は強固では無かった。ハッテラス砦には8月末に据えられた10門の大砲があるだけであり、他に5門の大砲は据えられていなかった。クラーク砦には5門の大砲があるだけだった〔ORA I, v. 4, p. 584. But see p. 591, where the number of mounted guns in Fort Hatteras is stated to be 12.〕。さらに、大砲の大半はやや軽量の32ポンド砲以下であり、射程距離が限られ、海岸の防衛には不適切だった。
人的資源の問題はさらに悪かった。ノースカロライナ州では南北戦争で22個の歩兵連隊を起ち上げ装備させたが、そのうち16個連隊はバージニア州での作戦に引き抜かれていた。残された6個連隊でノースカロライナ州の海岸線全てを守る必要があった。第7ノースカロライナ志願連隊のわずかな部隊のみがハッテラス入江の2つの砦に入った。他の砦も同様にわずかな兵力で守った。オクラコーク、ハッテラス、クラークおよびオレゴンの各砦あわせても1,000名足らずだった。援軍が必要になれば、遙か遠いボーフォートから送るしかなかった〔Trotter, ''Ironclads and Columbiads,'' p. 19.〕。
奇妙なことにノースカロライナ州軍当局はその守備のお粗末な状態を秘密にしておく努力をほとんど払わなかった。捕獲されたり難破して犠牲となった北軍の船長数人は、故郷へ帰るのを待つ間にハッテラス島かその近くで緩やかに拘束されただけだった。彼等は事実上砦に自由に接近することを許され、あらゆることを記憶にしまった。北部に帰ると少なくともそのうちの2人は十分に貴重な情報を海軍省にもたらした〔ORN I, v. 6, pp. 78–80.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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