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ハリソン砦包囲戦(ハリソンとりでほういせん、)は、米英戦争初期の1812年9月4日から15日、現在のインディアナ州テレホート近くにあったハリソン砦で、少数のアメリカ軍が多勢のインディアン部族連合部隊に対して砦を守り抜いた戦闘である。この戦争では陸上での戦闘で初めてアメリカ軍が勝利したものになった。 == 背景 - ハリソン砦 == 1811年、ウィリアム・ハリソン将軍がアメリカ軍を北に行軍させている途上で、テレホートの高台に宿営し、ウォバッシュ川を見下ろす砦を建設した。ハリソンはそれ以前から戦略的な場所に砦を建設することを提唱していた〔Derlath, 178〕。ハリソン隊はその後の11月7日に、インディアンとの間にティッペカヌーの戦いを起こすことになった。 この砦は軍の補給線を守り、またインディアナ準州の首都で下流にあるビンセンズを守るものだった。その場所は現在のインディアナ州ビーゴ郡にあり、テレホート市の北端、ウィー族インディアンの集落であるウィーオーテノからは僅か2マイル (3.2 km) の位置にあった。その昔にはイリニウェク族インディアンの絡む戦闘が起きた場所と言われ、当初は「イリノイの戦場跡」と呼ばれていた〔McCormick, 17〕。アメリカ軍のジョセフ・ハミルトン・デイビース少佐が、ハリソン将軍に因んで砦をハリソン砦と名付けることを提案した。砦は1811年10月28日に完成し、それを囲む150フィート (45 m) の防御柵があった〔。ハリソンはジェイムズ・ミラー大佐の指揮下に少数の守備兵を残し、ティッペカヌーの戦場まで部隊を率いて行き、そこでショーニー族の予言師テンスクワタワの率いる部隊と対戦した。 ハリソン隊は砦に戻り、ティッペカヌーの戦いで功績を挙げたジョサイア・スネリング大尉に砦の指揮を任せた。スネリングは1811年11月から1812年5月まで指揮官を務めた〔。その冬の間にニューマドリッド地震が起こった。スネリングは後にデトロイト砦に転籍された。 米英戦争が始まった後、後に大統領となるザカリー・テイラー大尉がハリソン砦勤務を命ぜられ、ノックス砦を発ってハリソン砦の指揮に就いた〔Allison, 181〕。アメリカ軍はこの戦争の開戦初期に、イギリス軍、カナダ人、およびインディアンによって一連の敗北を喫した。イギリス側はその勝利によって他のインディアン部族の士気を上げ、遠隔のアメリカ軍基地に対する作戦行動に駆り立てることになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハリソン砦包囲戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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