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ハリッド・アラブ : ミニ英和和英辞書
ハリッド・アラブ[らぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラブ : [らぶ]
 【名詞】 1. (abbr) lab 2. laboratory 3. love 4. (n) (abbr) lab/laboratory/love

ハリッド・アラブ ( リダイレクト:ハリッド"ディ・ファウスト" ) : ウィキペディア日本語版
ハリッド"ディ・ファウスト"[らぶ]

ハリッド"ディ・ファウスト"Chalid "Die Faust"1975年5月28日 - )は、ドイツ男性キックボクサー総合格闘家ケルン出身。ゴールデン・グローリー所属。ドイツとモロッコの2つの国籍を持つ。
右腕から繰り出される強烈なパンチから鉄の拳の異名を持つ。ニックネームの"ディ・ファウスト (Die Faust)"とは英語でいう"ザ・フィスト (The Fist)"()を意味するドイツ語表記である。
打撃系のK-1だけではなく、総合格闘技PRIDEHERO'Sにも出場するなどオールマイティーな才能を持っている。
実業家としての顔も持ち、格闘家としての収入よりも多い。ランボルギーニ・ムルシエラゴを乗り回すなど、セレブとしての生活を満喫しながらも、「スリルを味わうため」とプロ格闘技の世界にも身を置いている。本人曰く「格闘技は趣味」。
試合直前で怪我や病気を理由に欠場することが多い。
== 来歴 ==
2002年6月2日、K-1初参戦となった『K-1 SURVIVAL 2002』で柳澤龍志と対戦し、鼻骨骨折によるドクターストップによりTKO勝ち。
2003年6月14日、『K-1 WORLD GP 2003 in PARIS』のトーナメントに参戦。準々決勝でペレ・リードに判定勝ちするも、準決勝でシリル・アビディに2RKO負け。
2003年10月5日、PRIDE初参戦となった『PRIDE 武士道』でロドニー・ファベイラスに判定勝ち。
2004年5月23日、『PRIDE 武士道 -其の参-』で中村和裕と対戦し、一本負け。これが対日本人唯一の敗戦である。
2005年3月26日、初参戦となったHERO'S内藤征弥と対戦し、判定勝ち。
2005年8月13日、『K-1 WORLD GP 2005 in LAS VEGAS II』に参戦。1回戦で堀啓に判定勝ちするも、準決勝でスコット・ライティに判定負け。
2005年11月5日、『HERO'S 2005 in SEOUL』にて金原弘光に判定勝ち。
2006年4月29日、『K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS』に参戦。1回戦でショーン・オヘアに右アッパーを2発叩き込みKO勝ち。続く準決勝ではカーター・ウィリアムスに判定で敗れるも、ウィリアムスが怪我で棄権し、代わりに決勝進出。ゲーリー・グッドリッジに自慢の拳で逆転KO勝ちし、優勝。開幕戦への切符を手にした。
2006年7月30日、『K-1 REVENGE 2006』で天田ヒロミと対戦予定であったが、拳負傷により欠場となった〔アンディに捧げる空手魂 武蔵、グラウベとリベンジ戦 K-1 公式サイト 2006年6月21日〕。
2006年9月30日、『K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦』では、武蔵と対戦。得意のパンチで臆することなく攻め続け、判定勝ち。
2006年12月2日、『K-1 WORLD GP 2006 in TOKYO 決勝戦』で行われた準々決勝では、アーネスト・ホーストに敗れた。なお、この試合がホーストの現役最後の白星となった。
2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAで天田ヒロミと対戦予定であったが、来日後にインフルエンザによる高熱を出し欠場となった。代理でグーカン・サキが出場した〔世界戦略がいよいよ始動 歴史に残る大会を見逃すな K-1 公式サイト 2007年3月3日〕。
2007年8月11日、K-1 WORLD GP 2007 IN LAS VEGASでマイティ・モーと対戦予定であったが、左拳負傷により欠場となった〔WGPの鍵を握るのは、セフォーで間違いなし K-1 公式サイト 2007年8月11日〕。
2007年9月29日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16のGP1回戦でグラウベ・フェイトーザと対戦。1Rに2回ダウンを奪われたが、最後まで正面から戦い抜いた。結果こそ判定負けとなったがこの試合のファイトぶりは観客を大いに沸かせ、解説の谷川貞治や実況を務めたアナウンサー達も感服していた。
2007年12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALのリザーブファイトでマイティ・モーと対戦予定であったが、虫垂炎により欠場となった〔レミーがバダの挑発に応戦!!「売られたケンカは買うぜ」 K-1 公式サイト 2007年12月5日〕。
2008年4月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAアレキサンダー・ピチュクノフと対戦し、判定負け。
2008年8月9日、K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAIIのUSA GP 1回戦でドゥシュ・プーと対戦予定であったが、ビザのトラブルにより欠場となり、代理でUSA GPに出場したグーカン・サキが優勝を果たした〔真夏のハワイでKO祭り!! 世界最終予選は誰が勝つ!? K-1 公式サイト 2008年8月9日〕。
2008年9月27日、K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16ルスラン・カラエフと対戦。1Rにパンチでダウンを奪うも、2Rに3つのダウンを奪い返されKO負け。
2009年3月28日、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAの第2代K-1ヘビー級王者決定トーナメント1回戦でメルヴィン・マヌーフと対戦予定であったが、インフルエンザによる高熱のため欠場することが大会2日前に正式発表され、代わりにリザーブファイトから繰り上がりとなった前田慶次郎が王座を獲得した〔レミー敗れたり!? アリスターが余裕の高笑い K-1 公式サイト 2009年3月26日〕。
2009年12月5日、K-1 WORLD GP 2009 FINALのリザーブファイトでダニエル・ギタと対戦予定であったが、右肩負傷により欠場となり代役としてセルゲイ・ハリトーノフがK-1に初参戦した〔ハリッド欠場…代役でハリトーノフが初参戦!! K-1 公式サイト 2009年11月28日〕。
2010年10月2日、2年ぶりの復帰戦となったK-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16のスーパーファイトでジャバット・ポトラックと対戦。2Rまでにポトラックの右ローキックで左脚にダメージを負い、3R開始直後にタオルが投入されTKO負けとなった〔K-1 WORLD GP 2010 FINAL16 第1試合 スポーツナビ 2010年10月2日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハリッド"ディ・ファウスト"」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chalid Arrab 」があります。




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