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ハリー・ストラウス(Harry "Pittsburgh Phil" Strauss、1909年7月28日 - 1941年6月12日)はユダヤ系アメリカ人の殺し屋。マーダー・インクのメンバーで、契約殺人を多数行った。通称"ピッツバーグ・フィル""ペップ"など。 ==来歴== ブルックリン区生まれ〔Harry Strauss La Cosa Nostra Database〕。1934年までに17回、殺人や暴行、窃盗で逮捕されたが一回も有罪にならなかった〔〔"Pittsburgh Phil" Straus J-Grit〕。エイブ・レルズがシャピロ兄弟相手に抗争をしていた時分からのレルズ・ギャングのメンバーで、1931年7月19日、メイヤー・シャピロを、レルズらと共に走行中の車から銃撃し、警察に追いかけられた〔Meyer Shapiro Possibly Victim Of Gang Guns Brooklyn Daily Eagle, Page 3, 1931.7.20〕。同年9月17日、メイヤー・シャピロが殺害され、レルズ、マーティン・ゴールドスタインと共に容疑者として留め置かれたが、証拠がなく放免された〔Gang Finally Kills Shapiro, Alky Racketeer Brooklyn Daily Eagle, Page 1, 1931.9.17〕。 シャピロ兄弟との抗争に勝利しブラウンズヴィルの縄張りを支配下に置いた一味は、イタリア系ユダヤ系犯罪シンジケートの契約殺人組織(マーダー・インク)の中核となり、ストラウスはその暗殺業務を精力的にこなした。 武器は銃やアイスピック、ロープなどを万遍なく使い、殺害した人数は100人を下らないとされる(一説に500人)〔。地元の警察や地元ギャングに顔を知られていないことが強みになり、全米各地で暗殺業務に従事した。1936年、ルイス・アンバーグ殺しで逮捕されたが、無罪となった〔。1937年のデトロイトでのパープルギャングの処刑では、デトロイトの混雑したレストランにピストルを発砲しながら飛び込み、ターゲットを殺したといわれる〔。窃盗や麻薬売買にも手を染めた。1939年9月、レルズやマーティン・ゴールドスタインと共に、賭博師のアーヴィング・フェインスタインをアイスピックとロープで殺し、遺体を燃やした〔。 1940年2月のエイブ・レルズの自白によって、多くのメンバーが芋づる式に検挙され、ストラウスもフェインスタイン殺害容疑で告発された。裁判時、ブルックリンだけで28件の殺害に関わったと報じられた〔Strauss, Bugsy Will Hear Their Doom Wednesday Brooklyn Daily Eagle, page 3, 1940.9.20〕。風呂に入らず、髭を生やしたまま出廷し、弁護士のブリーフケースにキスし続けるなど精神錯乱を演じて有罪を免れようとしたが、陪審には効果がなく、理髪屋で髭を剃らされた〔Blame It On Brownsville Six For Five〕。 1940年9月19日、フェインスタイン殺しによりマーティン・ゴールドスタインと共に第1級殺人罪で死刑を宣告された〔。レルズの密告に怒り狂い、5分間だけレルズと同じ部屋で会うことを条件に密告者に転じるオファーをしたが、検察に却下された〔。1941年6月12日、ゴールドスタインと共に電気椅子で処刑された〔。 レルズとは犬猿の仲で、よく喧嘩していたといわれる。財産は裁判費用とレルズへの復讐に消費されたと伝えられ、処刑された時一文無しに近かった〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハリー・ストラウス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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